来たる動乱の時代に、情報発信で生き残る道。

 

 

夏に入って、コロナは一旦収束するように見えたけれど

東京ではまたコロナ感染が確認され、世界ではすでに第二波が来はじめています。

 

この先の未来がまったく予想できず、まともな人生設計も立てられないなかで、さてわたしたちはどう情報発信をしていけばいいのか?と最近よく考えます。

 

 

少し前に、コロナによる非常事態宣言が発令されてから、リアルの店舗も、広告収入を得るYouTuberも、軒並み打撃を受けました。

友人の飲食店は本当にギリギリの状態でなんとか営業を続け、あるYouTuberは収益が7割減になったという話も聞いて、それぞれが大変な状況を乗り越えてきたと思います。

 

 

とくに情報発信にフォーカスをあててみると

  • 「みんなで〇〇をやってみた」
  • 「どこどこに行ってみた」

といった企画系・旅行系のYouTuberやブロガー、インスタグラマーなんかは、「外出ができない・人と密集できない」という状況下で、かなりコンテンツが作りにくくなったと思います。

(企業も広告費を削減するようになって、スポンサーもつかなくなったり。)

 

 

逆に、たとえずっと部屋にいても、特別なことをしなくても

  • 自分のなにげない日常の体験から得た気づきを語れる
  • 内側からあふれでる思いや意見を言語化できる

といった「どんな平坦な日常でも、それを面白く捉えてネタに変えていける人」は、情勢に左右されず、コンテンツを生み出していけるんですよね。

 

 

このご時世においては、後者の発信スタイルは大事だなぁと思ってて。

 

もちろん、外部の刺激的なイベントをコンテンツにする力も大事だけど、それと同時に「すべての物事を面白く解釈する視点」を養う必要性が、これからどんどん増してくるんじゃないかなと。

 

 

たとえ一日中家に引きこもってたとしても、その一日をただ「何のネタもない退屈な日だった」で終わらせるのではなく、

「そこからいかにおもろいネタを作り出せるか?」

と考えられるようになったら、コンテンツを作る力は格段に上がります。どんなものからでも、ネタを生み出せるようになる。

 

 

ちなみに自分の人生がつまらないと思って生きている人は、「いかに自分の日常が退屈か」という視点でばかり物事をみてしまうので、本当につまらなくなるわけです。

そうすると、平坦な日常の中の、ほんの小さな変化や喜びのタネにすら気づけなくなってしまう。

 

だから逆に、どんな瞬間にも「面白さ」を見いだせるようになれば、たとえばお皿を洗うだけで悟るような気づきを得るし、掃除するだけで心が洗われるような感覚になったりもするんですよね。

 

 

そんな状態になれば、自分の人生から「退屈」というワードが消えるので、どんなに動乱の時代が来ようとも、生き方そのものが豊かになります。

自分の身に起こるすべての出来事が、面白く捉えられるようになり、どんな失敗も「これは良いネタができたぞ!」と前向きな教訓に変えていけるからです。

 

 

だから、これからの「来たるべき動乱の時代の情報発信」は、

どこにいようが何をしていようが、自分の身ひとつあれば無限にコンテンツが作れる」

という状態になれたら、時代のうねりに飲み込まれず、強い軸をもってやれるんじゃないかなと思うわけです。

 

 

で、

「どうすれば物事を面白く捉えることができますか?」

と聞かれることがよくあるのですが、

これはもうとにかく

  • 「どうすれば面白く捉えられるかな?」という思考の探求をやめない
  • 「この人面白い視点もってるな〜!」と思う人の考え方生き方を学び続けて日常に取り入れていく

これに尽きると思います。

 

ある日突然できることなんてないんで、日常から少しずつ取り入れて、発信しながら、次なる激動の時に備えておきましょう。もちろんわたしも、まだまだがんばりますよん。

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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