この記事を開いたということは、なにかしらに疲れた人かと思う。
仕事に疲れた。
人間関係に疲れた。
人生に疲れた。
なにもかもが疲れた。
「疲れた」という感情が沸き起こるということは、いま自分が置かれている状況をそのまま放置せずに一度立ち止まるべきサインだと思う。
なぜなら、わたしは2年前・24歳の時に「疲れた」という気持ちを放置した結果、涙が止まらなくなり、会社に行けなくなったからだ。
「疲れた」は、無意識のうちに身体と精神が悲鳴をあげている証拠
「もう疲れた」と、なにもかもが嫌になるときっていうのは、たいてい嫌なことが重なったとき・苦しいことが蓄積されたときなど、自分にとってネガティヴな要素がメンタルを埋め尽くしたときに起こる感情だと思う。
ひとつひとつのストレスは小さなものでも、消化しきれずにだんだん積み重なっていくと、徐々に自分のメンタルを削っていくことになる。
身体的な疲れは目に見えてわかるものだけど、精神的な疲れというのは目に見えないし、なかなか表面には出てこないから、気付いたときにはメンタルが悲鳴をあげている状態になってしまうことが多い。
しかも社会人になると、その精神的な悲鳴すらも隠して働いてしまう人が驚くほど多い。
「ちょっと疲れただけだからまだ大丈夫」
「こんなんで疲れてちゃダメだ」
そうやって自分の中の悲鳴を抑えて、無理して動いた結果、どんどんメンタルがボロボロになってしまう。悲しいことに、誠実で真面目な人ほど自分に厳しいため、どんどん自分の内面を犠牲にしてしまうのだ。
実際わたしのまわりにも勤勉に働いていた人たちがメンタルをボロボロにして働けなくなってしまった人も少なくない。
「ちょっと疲れただけ」で済ませてはダメなのだ。もっと、自分の内面に向き合わないと。
一度立ち止まって全てをリセットし、自分で自分を救う
わたしは、社会人2年目のときに、「何もかも疲れた、会社に行きたくない」という気持ちを放置した結果、会社に行けなくなったことがあった。
関連記事:「仕事行きたくない」は甘えなんかじゃない。その気持ちを放置しないでほしい
「こんなんで甘えてちゃダメだ」「ここで休んだら逃げだ」と、どんどん自分で自分を追い込んだら、修復できないほどメンタルが傷ついていた。
それは甘えでも逃げでもなく、ただ「休息」が必要だったのだ。
だからわたしはストレスの原因ともなっていた仕事と会社を「休む」という決断をした。3日ほど続けて有給をとったのだ。
一度休息をとって、とことん休んで、自分の内面と向き合う時間を作った。
なんでこんなにつらいんだろう?
どうすれば回復するだろう?
そもそもわたしはなんのために働いてるんだろう?
と、現状をリセットしながら冷静に考えた。
思えば、社会人になってから一度もこうして自分と向き合う時間を作っていないことに気付いた。
忙しさを言い訳にして、自分がいま何を感じているかを知る機会を犠牲にしていたのだ。
考えに考え抜いた結果、「会社というちっちゃいコミュニティで悩んでるのはバカバカしいな」とだんだん思えてきた。
そこからわたしはどん底からV字回復するように、会社以外の場所で自分のやりたいことをやろうと決め、紆余曲折を経て、会社を辞めて独立して働いている。
あのとき、自分の気持ちを無視し続けていたらどうなっていただろう・・・とも思う。
自分の心を救えるのは、最終的には自分しかいない。
「疲れた」という気持ちに一番先に気付けるのは自分なのだ。
「疲れた」という気持ちを放置しないでほしい
この記事を読んだあとに、一度立ち止まって考えてみてほしい。
なんで自分はこんなに疲れているんだろう?と。
会社に疲れているのなら、少しプライベートの時間を確保して自分の気持ちと向き合ってほしいし、人間関係に疲れているのなら少し距離を置いて1人の時間を作ってみてほしい。
布団の中でもいいし、自分のお気に入りのカフェに行ってもいい。
落ち着ける場所で、ゆっくりと自分の気持ちと向き合ってほしい。
疲れたら、休息が必要なのだ。それは甘えでも逃げでもない。
誰がなんと言おうと、必要なことだ。誰かの意見に惑わされず、自分の意志で「休息の時間」を作ろう。
▼わたしが「生きるの疲れたな・・・」と思っていた頃の話も書きました。
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