「ブログで稼ぐ」「YouTubeで飯を食う」
って、一見自由でキラキラしてるようなイメージあるじゃないですか。
でも実際毎日やることといえば、特にブログを始めた初期の頃なんかは
- 他の媒体のリサーチや分析
- セールスやマーケティングの勉強
- ライティング
- ライティング
- ライティング
みたいな感じで、ひったすらPCと向き合ってるんですよね。
地味だし、肩凝るし、目も痛いし、結果は全然出ないし、なんのキラキラ要素もないわけです。(笑)
そしてそれを生業にするなら、つぎは
「ブログやYouTubeで飯を食っていく」
という覚悟が必要になる。
自分が手を動かさなきゃ死ぬ!みたいな状況で、思うように成果が出なかったときなんかは生きた心地がしない。
(まぁそれは当時のわたしのメンタルも器も小さかったからなんですがw)
だけど、そんな「しんどい、くるしい」にとことん向き合った先には、無上の歓喜が待っているんですよね。
散々苦しんだ先で、誰かが自分の発した言葉に涙を流してくれること。
誰かの人生の決断の後押しができたこと。
膝を抱えてうずくまっている誰かに寄り添えたこと。
そんな瞬間に立ち会ったとき、
「今までの苦しみやしんどさは、このときのためにあったんだな」
とすら思える。ほんとに発信してよかったなって。
これはもうほんと、たくさんもがいて足掻いた先でしか味わえないと思います。
キラキラした側面だけじゃ得られない。
でもこれって人間関係もおなじだなぁと思うんです。
わたしは今まで当たり障りのない人付き合いをしてきて、誰と衝突することもなくのらりくらりと生きてきて、
たしかに誰にも干渉せず、誰にも干渉されない生き方はラクなんだけど、
でも同時に、自分が本気で悩んで苦しんでるときに、手を差し伸べてくれる人がいない生き方はなんて孤独なんだろうと気づいたんですよね。
自分から腹割って人と関わらないと、一生心の奥底は孤独だなぁと思って、まずは身近で大事な人からちゃんと深い信頼関係築こうと改心したわけです。
すると、お互い本音で一切の遠慮なく関わった時に、どこかのタイミングで必ず衝突するときが来ます。
(そりゃ人間みんな違うのだから、意見が食い違うのは当たり前だよね)
衝突したときはそりゃお互いしんどいし、できれば仲良くやっていたい。
けど、そうやって本気で関わるからこそ、「こいつとはもうだめかもしれない」と思うほど極限までぶつかるからこそ、最後に和解できた先には、一層強い絆ができる。
わたしはいつも衝突を避けて「自分が折れればいいや」と思ってやってきたんだけど、それじゃあいつまで経っても、相手との関係は深まらないし、自分の中にゴミ溜めるだけなんですよね。
これはブログもそうで、表面的に楽しい部分だけやってて、しんどいところは見てみぬフリしてたら、きっとこの、腹の底から湧き上がる熱量とか、使命感は芽生えなかっただろうと思うのです。
向き合う相手が人だろうと、媒体だろうと、「くるしい、しんどい」って思う瞬間ほど、とことん突き詰めてみるのも、なかなか人生の醍醐味であるなぁと実感した今日この頃でありました。