26年前、わたしは広大な北海道の地・札幌で産声を上げた
両親と、1匹の猫と、小さなアパートで大切に育てられた
近くには母方の祖父母も住んでおり、両親が共働きで家にいない間はいつも祖父母と遊んでいた
ときにはコンビニでおもちゃを買ってくれるまで泣き止まないという荒技を見せたり
寝転がっている祖父の腹めがけてドロップキックを決めるなど、わたしの生命力は止まることを知らなかった
そんな中、祖父母が一生懸命わたしのためにやってくれたことがある
それは、足をブルブル左右に揺らしながら「足が長くナール」呪文を唱えてくれたことだ
この呪文によりわたしはスラリとした美脚を手に入れ、誰もが羨むような美しい佇まいとなった
はずだった
それが・・・
26年目にして気づいてしまった・・・
「自分、そんなに足長くないんじゃね?」説に・・・
先日ヨーロッパに行った際、どの女性もかっこよくスキニーパンツを履きこなしていたので、「わたしもスキニーを履いてこの美脚を見せつけようではないか」と意気揚々とスキニーを購入し、履いた。
しかし
なにかが違う。
拭いきれない決定的な違和感に、わたしは動揺した
スキニーの質感か?
はたまたシルエットか?
否、
わたしの脚の長さが足りないのだ。
ヨーロッパで見かけた彼女たちのすらりとした脚と、圧倒的な差があったことに、気づいてしまった
わたしは(たいして長くはない脚の)膝から崩れ落ちた
こんなはずではなかった・・・
自分の足はたいして長くないのかもしれないなんて・・・
鏡に映る自分の足がこんなに短かったなんて・・・
足が長くナール呪文は祖父母のまやかしだったというのか・・・
・・・
思えば祖父母が左右に足を揺らしている時点で縦には伸びないことは明白であった
なんということだ・・・
こんな残酷で悲しい真実に、26年目にして気づいてしまうなんて
わたしはふと、天を仰いだ
この残酷な真実を正面から突きつけるが如く、天は燦々と光を放っていた(※天井のLED照明)
わたしはこれから、この悲しき真実を背負って生きなければならぬ
もし、天を仰ぎながらスキニーパンツを履いている日本人女性が都内をうろついていたら、それは九分九厘わたしだ
そのときは、どうかそっと心の中で「足が長くナール」呪文を唱えながら、静かに横を通り過ぎてほしい。
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