「人は、自分のためだけにはそこまで頑張れない」という話

 

先日、友人らと飲んでいてこんな話になりました。

自分のためにやることって、あとでいいや〜って後回しにしたり、こんなもんでいっか〜って妥協したりするんだけど、恋人とか仲間とか大切にしたい人のためだったら全力で動けたりするよね

といった内容だったんですが、わたしも思い当たる節がたくさんあったんですよね。

 

昨年、好きなことを仕事にしたはずなのにずっと停滞感や虚無感を抱えてて、ずーっとモヤモヤしてたんですが、その正体は「活動の根本が全部自分にベクトルが向いてた」ってことだと思ってて。

 

「お金稼ぎたい」

「アクセス数伸ばしたい」

といった動機でずっと動いてたんですが、これってあんまり誰かのためというよりかは自分が満足感を得るためにやってた節があって。

 

その満足感って、一時的には満たされて幸せな気分になるんですが、すぐ欠乏感に襲われるんですよね。だからもっと稼がなきゃ、伸ばさなきゃ、という焦りや恐怖に変わっていくという……。

 

 

でもわたしがこの発信活動をずっと続けていて本当に心の底からあったかくなる瞬間とか、踏ん張れる瞬間って、常に「自分以外の人のことを考えて動いているとき」だったなと気づいて。

 

「今まさに悩んでいる同年代のためにこのメッセージを伝えたいな」

「モヤモヤしているあの人に向けて届いたらいいな」

そうやって他者のことを考えて言葉を書く時って、すごく熱が入るというか、がんばろうって気持ちになる。

 

そしてそれがたとえすぐには届かないとしても、それを想い続けながら頑張れる。

 

 

わたし自身もそうだったんですが、数字(お金とか)を目標にして頑張ってきた人ってある程度稼いだりしたら満足しちゃって、そこから停滞感を抱いたり何もやる気が出なかったりする人が多かったりします。

それは単に目標を達成して虚無的になるのもそうだし、数字を追えば追うほど気づかないうちに自分ばかりにベクトルが向いてくるからかもしれないな、と思ってて。

 

その稼いだお金を誰かのために使う、といった明確な意志があればまた違うのかもしれませんが、少なくともわたしは自分のためばかりで動いてたからそうなっていったんだろうな、と思うわけです。

 

 

アドラーが「幸福とは他者貢献である」と言うように、人は誰かの役に立つことで自分の存在を受け入れることができるのだとしたら、

「まずはとにかく自分を満たす」っていうよりも「まずは身近な人・大切な人の役に立つ、喜んでもらえることをしてみる」という視点を持ってみると、結果として自分を満たすことにも繋がるんじゃないかって思います。

 

 

そしてそういう視点の中に、仕事を作るヒントがあったり、新しい何かを始めるきっかけがあったりする。

 

「まずは自分を満たさなきゃ相手を満たせない」

というのも確かにそうなんですが、

「まずは相手のために動いてみたら、結果的に自分も満たされた」

という視点も同時に持って動けたら、幸せな人が増えそうだなぁ〜なんて思ったり。

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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