世の中には2種類のオッサンがいる。
「話が面白いオッサン」と「話がクソつまらんオッサン」だ。
面白いオッサンは若者にとっても有益な話をするので問題ないが、問題なのは「クソつまらんオッサン」だ。
「おれが若い頃は・・・」
「いまの若者は・・・いまの仕事は・・・」
「おまえはもっとこう・・・」
一向に話が面白くなる気配がないオッサンは、一緒にいてもただ時間の無駄だ。
それでもその場から逃げられない場合、どうすればいいのか?
クソつまらんオッサンの話を回避する方法
逃げ場がない状態でクソつまらんオッサンの話を聞かされている場合、どう回避すべきか。
それは「脳内回避」だ。
身体がその場にあっても、心は別の場所に移すのだ。そうすれば、適当に相槌をしながらも頭は有益なことを考えていれば、時間の有効活用ができる。
しかし心が遠くへ行き過ぎると
「おれの話を聞いているのか!?プンスカ」とオッサンが怒鳴り出す可能性がある。
心が遠くへ行きすぎず、かつオッサンの話を真に受けず時間を有効活用するにはどうすべきか。
「なぜこのオッサンの話は面白くないのか?」を分析する
オッサンの話の内容を聞くのではなく、特徴をとらえるのだ。
「なぜこのオッサンの話はこんなにもクソつまらないのか?」を分析できるようになれば、自分の今後の活動にも活かすことができる。
「つまらない」という材料ができれば、どうすればつまらない話にならずに済むのかがわかる。
そして面白いオッサンの話も聞いて、面白いと思う材料もできれば、比較対象ができる。
「ああ、このオッサンは自分の自慢話しかしていないからつまらないんだ」
「ああ、このオッサンは世の中に対する不平不満ばっかり口にして行動に移してないからイライラするんだ」
こういう分析結果が見えてくれば、「じゃあ自分は人の話を聞きだしながら話せる人になろう」と自分に活かすことができる。
「つまらないもの」をつまらないものとして吸収するのではなく、「つまらないもの」からでも教訓を吸収すると、どんどん自分の知見が増えていく。
これはオッサンの話に限ったことではなく、ブログや仕事、人生そのものについてもそうだ。
「なぜこの人の文章は面白いのか?」
「なぜこの人の文章は退屈なのか?」
「なぜあの人の人生はあんなに情熱的なのか?」
「なぜ自分の人生はつまらないと感じているのか?」
どんなものにも「なぜこうなのか?」と考える癖がつくと、どんどん”面白さ”の正体が見えてくる。
つまらなそうに生きている人を見たら、なぜつまらなそうにしているのか考え、自分に活かす。
自分に活かすことができれば、次は他の人のために活かす。そうすると、身の回りからどんどんつまらない人がいなくなる。
わたしは退屈だった社会人人生から「なぜ」を分析しつづけて、いま楽しくて仕方がない人生を送っている。
だから次は、身の回りの人にもそれを活かす番だ。
・・・ということで、そんな話をふんだんに盛り込んだあんちゃの初著書・「アソビくるう人生をきみに。 -好きなことを仕事にして、遊ぶように生きる人生戦略」が12月12日に発売されます。(電子書籍も同時発売)
クソつまらない話をするオッサンをダシにした完全なるステマです。
もうすぐAmazonでも予約開始されると思うので、ぜひお待ちください。
本の詳細についても、もうすぐブログに書くよ!ウェイ!