1人が好きだった。
小5のときに転校してから、最初の頃はほとんど友達がいなかった。
昔から1人で絵を描いたり、アニメを見たり、本を読んだりするのが好きだったので、友達がいなくてもわりと平気だった。思春期の女子のグループができるまでは。
だから転校したばかりのときはよく1人で図書室に行って、いろんな本を読み漁っていた。
本の中の孤独な偉人たちに励まされていた
特に熱心に読み込んでいたのは、世界の偉人たちの伝記シリーズ(漫画版)だ。
ベートーベン、アンネフランク、ジャンヌダルク・・・図書館に置いてある伝記はほとんど全部読み切った。
伝記の中の偉人の人生を追っていると、悲しいこと・不幸なこと・苦しいことがたくさん起こっている。
こんなにつらい思いをしても、どんなに孤独でも、力強く生きて世界に名を残して、こうしていまわたしの手元に彼らの生きた証がある。
当時わたしは親が離婚&再婚したり友達がいなかったりで少なからず心細い気持ちもあったんだけど、伝記の中のたくましい生き様を見ていると世界が広がるような、孤独ではない感覚になれた。
わたしは伝記の中の孤独な偉人に励まされていた。
小学校時代、1人だったからこそ今独立できている
一見友達がいなくて1人で行動することは恥ずかしいこと・ダメなことのように思われるし、自分自身も最近までずっとそう思っていた。
学校の先生は「外でみんな仲良く遊ぶこと」が正しいと言い、友達がたくさんいて明るく振る舞える子が「良い子」だとされてきた。
それでいうとわたしは正反対もいいところだし、自分の意見を言わず無口で暗い、単独行動を好むような「先生に心配される側」の子どもだっただろう。
だけどわたしはこれでよかったと思う。
この経験は「なぜ1人でいたらダメなのか?」「室内で過ごすことは悪いのか?」という疑問に変わり、今の今までその疑問を抱えながら生きてきた。
でも結局1人でなんでも行動する癖があったおかげでいま独立して仕事ができていると思うし、読書しまくったことも、黙々と絵を描いていたことも、すべてブログのなかで役に立っている。
小学校時代だけを切り取ってみれば、たしかにただの根暗な子だったかもしれない。でも、この26年間を通してみると、それは立派な「自立への一歩」だったようにも思える。
なんでも経験した瞬間は役に立たないかもしれないけど、長い目で見れば人生の経験で役に立たなかったことなんてない。
これは喜劇王・チャップリンの名言にも残されている、この言葉がすごくしっくりくる。
人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である。 -チャールズ・チャップリン
友達がいなくても、恥ずかしいことなんてない
いま学生時代を過ごしている人の中には、孤独を味わっている人も多いはずだ。
全員が全員仲良くしろなんて図々しいにもほどがあるし、仲良くする必要なんてない。
たまたま住んでいる場所が近いってだけで集められた人たちのクラスで、仲の良い友達ができること自体奇跡だと思う。
クラスにいたくなければ図書館に逃げていいし、1人で過ごしていい。
つらければ学校なんか休んでいい。
それを知らないでいると、どんどん追い詰められてしまうから。
ほんの小さな学校というコミュニティで、無理して孤独を責める必要はない。
親にも先生にもわかってもらえなかったら、インターネットでも、中庭にいるニワトリやウサギでも、伝記の中の偉人でもいい。たくましく生きている命に触れよう。
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