わたしが新卒1年目のOLだった頃、入社したての2週間は基礎研修みたいなのがあって、営業先を訪問したときのマナーや、社会において必要な「礼儀礼節」の基本をひたすら覚えた記憶があります。
(ちなみに某大手印刷会社の、IT系の子会社にいました。)
当時、まだまだ世間知らずで、礼儀もクソもなかったわたしは、
「何でいちいち名刺の交換なんかの練習をするんだ??」
「こういう堅苦しいのほんとムリ・・・」
「もっとフレンドリーにさ、テキトーにやってもよくない?」
と内心思っており、その場しのぎで研修を受けていました。(そういう人、多いんじゃないでしょうか。)
そこから2年働いて退職し、ブログで独立したあとは、「そういう堅苦しいマナーやルールを重んじるような連中とは付き合わねーぜ!」と、血気盛んな時代を過ごし(笑)、一時はブイブイ言わせて仕事していました。
が、途中でお金と数字ばかりに追われて目的を見失い、なかば引きこもりになってたところを、
わたしが今いる「シロフクコーヒー」の運営会社の、会長・社長が拾ってくださり、ようやく生気を取り戻したところなんですが。
いま、仕事をするなかで、本当にいろんな世代・職種・境遇の人と関わらせてもらってて、そこで実感したのが、
「人として当たり前のマナー」
を学んでてよかったな、ということです。
シンプルに、「知らないよりは、知ってたほうがいい」というのもあるし、
正しく名刺交換するとか、訪問先では建物に入る前に上着を脱ぐとか、一見「なんでそんなことやらなアカンの?」というマナーって、結局は
〝相手を大切に思う気持ち〟
から生まれるものであって、その気持ちを表すために、そういった作法が形作られるんですよね。
目上の人に対するマナーも、先人たちの生きた軌跡を敬い、日々面倒を見てくれることへの感謝を「行為」で見せるためにある。
それを一般化したときに、礼儀礼節の作法ができるわけです。
(その想いの部分を省略して、形だけを伝えてしまうから、礼儀礼節のマナーが形骸化して、若い人に敬遠されるんですよね。。)
もちろん、形式ばったものが好きじゃない人もいるので、それは相手によって柔軟に合わせる必要はあります。
「相手を感じて、相手が喜ぶおもてなしをする」というのも、ひとつの礼儀礼節なのかなと思いますし。
(わたし自身も全く気にしない派ではありますが、後輩がもし、「これ、他のところで目上の人にやったら失礼にあたるだろうな」ってことをやっていたら、教えるようにはします。)
何より、さりげなく(堅苦しさを感じさせずに)目の前の相手に礼を尽くせる人は、どこか品性があって、美しいなと思うし、親しき仲にも、そういう心を忘れずにいたいなと。
(距離が近い人ほど、粗雑に扱ってしまいがちなので・・・)
「礼儀礼節をわきまえる」
と言うと、なんだか堅くておごそかな印象になってしまいますが、ほんとはそうではなくて、その形式の奥には、ただただ目の前の人を大事におもう「真心」がある。
そう捉えると、普段人と接するときの自分の身の振り方も、ちょっと優しく、あたたかいものになるのかもしれません。