「好きなことを仕事にしたい」
このフレーズ、ここ2~3年で聞き飽きるほど耳にしましたよね。
実際に好きなことで生きている人、それを目指す人、目指したけど挫折した人・・・
わたし自身もこの2年で随分やりたいことを心から楽しんでやる機会が増え、またそういった仲間も増えました。
ですが同時に挫折していく人がたくさんいるのも事実です。
この違いはなんなのか。
名著『夜と霧』に見た「生きる人と死んでいく人の差」
つい最近読んだ本『夜と霧』にそのヒントがありました。
ナチスドイツ時代にユダヤ人が強制収容されたアウシュビッツ収容所で、生死をさまようほどの劣悪な環境を生き延びた心理学者・フランクル氏の本なんですが、特に印象に残った一節があります。
それは、クリスマスから正月の間にかけての期間だけ異常な数の死亡者を出した、という記述。
医長によると、この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年の間の週に、かつてないほどの大量の死者を出したのだ。これは、医長の見解によると、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食料事情からも、気候の変化からも、あるいは新たに広まった伝染性の疾患からも説明がつかない。むしろこの大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる、というのだ。
引用:『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル
要するに、「とりあえずクリスマスまでにはこの苦しみから解放されるだろう」という”ありきたりな希望”を持ってしまったおかげで、それが叶わないと知った時に人はいとも簡単に生きる理由を失い、死んでしまうということなのです。
どんな苦しい状況でも生き延びた人と、死んでしまった人の違い…それは「自分はなぜ生きるか」を知っているかどうかにかかっていたのではないか、と本の中では述べられています。
心理学者のフランクル氏が生き延びたのも、「(所在はわからないが)最愛の妻が待っている・収容所で没収されてしまった論文を完成させる」という強固な目的を持っていたからなのでしょう。
ニーチェ「なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きることにも耐える」
かの有名な詩人・ニーチェもこんな言葉を残しています。
わたしなりに意訳すると、「自分の生きる目的(もしくは理由)を知っている人は、どんなふうにも生きていける(困難にも耐えうる)」というメッセージなのではと思います。
今のわたしたちが生死を分けるほどの苦難に出会うことはめったにありませんが、「仕事」という場面では上記のような話に当てはまる部分も多いはずです。
「その仕事をする理由・目的」がはっきりわかっている人は、障壁が立ちはだかっても目的を成し遂げるために歯を食いしばって乗り越える。
だけどなんとなくで仕事をする人は、苦難がきたときに簡単に折れてしまう。それを乗り越える理由がないからです。
だから、好きなことを仕事にしてやり続けられる人と挫折してしまう人の違いは
「自分がなぜその仕事をするのか・その仕事を通して自分は何を与えられるのか」が明確にわかっているかどうか、なのかなと思うのです。
自分が何に突き動かされるのかを知る
もちろん働く理由を言語化できていなくても、無意識下の信念に突き動かされている人も多いです。
どんな苦境にも屈さず這い上がっている人は、きっと心の奥底に強烈な「生きる目的」を持っているはず。
困難に遭遇したときに
- その困難を乗り越える意味を持てているか
- 苦しみに耐えてもまだやり続ける意義があるか
これがあるかどうかで挫折と継続を分ける決定打になるのではないでしょうか。
ブログやSNSなんかの発信活動においても、ただ生半可な気持ちでとりあえず発信している人と、なにか強烈な想いを持って発信に取り組んでいる人とでは、その言葉の重みも伝える熱量も雲泥の差があります。
使命感を持ってメッセージを届けようとしている人は、どんな苦境や反対・批判にも屈しない力を持っているし、その覚悟が伝わってきます。
ただそうは言っても、最初から自分の働く理由が明確にわかる人なんて滅多にいません。し、わたしもこうやってブログやSNSで発信を始めてから自分が世の中に対して何を伝えたいか、ということに気付けました。
結局は毎日たくさんの経験を積む中で、自分が何を感じ、どんな学びを得て、身近な人や世の中にどうやって自分が関わっていけるのかを動きながら考えていくしかないのかなと思います。
このへんの話は自分のモチベーションがどこから来るのか、ということにもつながってくると思うので、以下の記事もあわせて読んでみて欲しいです。
関連記事:モチベーションのアップダウンが激しい人は、モチベーションではなくテンションで仕事している。
ちなみに『夜と霧』本当に名著なんで生き方に迷うすべての人に読んで欲しい。。。