「何のために生きているかわからない」から、もうどうにでもなれと思えた話

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「結局自分ってなんのために生きてるんだろう?」。たまに襲いかかってくるこの疑問。

誰かが教えてくれるわけでもなく、自分で導き出せる答えでもない。

 

退屈でもなく圧倒的に楽しいわけでもないと感じていた学生時代、「なんのために生きてるんだろう」と思った。

社会人になって家と会社の往復をしていた時、「生きてる意味あんのかな」と思った。

独立してフリーランスで働くようになった今も、「結局生きてる理由ってなんだろうな」と思う。

いつになってもこの疑問とモヤモヤは消えないんだなぁと気づいた。

 

そもそも生きる意味なんて必要なんだろうか

キラキラした自己啓発書やメディアでは「幸せになるため!」とか「世の中に貢献するため!」とかたいそうな理由が書かれていたりするけど、そもそも「生きる意味」って必要なんだろうか?

逆に「自分はこのために生きてるんだ」って決めつけてしまったら、そこから身動きがとれなくなってしまいそうでわたしは怖い。

 

「生きる意味がわからない」からこそ、わたしは今までの人生をもがいて道に迷って絶望して、立ち直って駆け抜けて・・・を繰り返してきたんじゃないかと思う。

こうやって「なんで生きてるんだろう」って悩む瞬間さえ、人生の深みを味わっているんじゃないかとすら思う。

だから最初から生きる意味がわかってるまっすぐな一本道の人生なんて、逆にいまより退屈になってしまうんじゃないだろうか。

 

わたしは死ぬ勇気がないから生きている

「生きてる意味がないなら、死んじゃえばいいんじゃないか」となんども考えたことがある。

でも、わたしは死ななかった。

もがき苦しむほど痛い思いをしてまで、死ぬ勇気がなかったからだ。

 

死ねないから、こうして生きる理由に悩まされている。

でもふと思った。

そもそも、「死んだら終わり」という人間の勝手な思い込みが間違いだとしたら、死んでも意味ないんじゃないか?と。

 

死んだあとの世界も永遠に続くのだとしたら、「なんで死んだんだ?」ってなるだろうし、もしかしたら今生きてる世界よりもっと苦しむのかもしれない。

だったら、この世で命が続いている限りは、”どうせなら”生きようと思った。

 

”どうせ”生きるんなら好きにやってしまえと思えた。

意味があってもなくても”どうせ”生きるのだ。

それなら、命が続くまでは「どうせ生きるんなら好き勝手生きればいいんじゃないか?」と思えるようになった。

 

べつに意味なんかなくたって生きていいのだ。

「立派に生きなきゃいけない」わけでもないし「誰かの役に立たなきゃいけない」わけでもない。

 

親のいうことに従う必要はないし、友人や上司の言うことを聞き入れる必要もない。

苦しんだ過去をひきずる必要もないし、不安な未来に絶望する必要もない。

自分が”今”思うように生きたらいいんだよなって。

 

わたしはそう思えるようになったことで、ずいぶんと”生きること”そのものに自信が持てるようになった。

 

まわりがあーだこーだ言ったって、自分の好き勝手生きればいいんだ

地位や名誉がなくたって、お金を持ってなくたって、友達がいなくたって、別にいい。

 

そういう「みじめな自分の人生」だと思っていた部分すら受け入れてみたら、ずいぶんと楽になった。

だからわたしと同じように悩んでいる人がいたら、こんなふうに声をかけてあげたい。

 

「生きる意味なんていらない。ただ自分の思うように好き勝手生きればいいんだよ」と。

 

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