学生時代、「こんなこと言ったらまわりの友だちに嫌われるのではないか」と自分の本心を偽って人と接した。
社会人になって、「自分の都合を優先したら会社の人たちに迷惑かけるのではないか」と自分のやりたいことを我慢して仕事をした。
いま現在も、昔のわたしと同じ思いで生活している人が多いのではないかと思う。
本音を言えないコンプレックスから前進できた理由
わたしは1年前、ひとりの尊敬する会社の先輩が発した「わたしは自分の生きたい人生を生きる。他人の目は気にしていられない」という一言に強く勇気づけられ、自分の人生を自分で選択する力を得た。
あんなに気にしていたまわりの目も、まったく気にならないようになった。
その先輩はよくまわりの人とモメることもあった。先輩のいないところで、先輩のことを悪く言う人もいた。
でも、先輩は最終的に自分の本心に従って、生きたい人生を貫いていた。
その姿をみて「わたしもあんな風に生きたい」と思った。
他人になんと言われようと、”自分の人生は自分で選択する力”がほしいと。
わたしが口に出しては言えない、心の底で思っていたことを、先輩はしっかり口に出して発信していたことが羨ましかった。
「こんなこと言って、まわりから嫌な目で見られたらどうしよう」と思ってわたしが言えなかったことを、先輩は「まわりの顔色をうかがう人生より自分の意志を尊重できる人生にしたい」とスパっと言葉にした。
わたしはそこから「本音を言えない」コンプレックスをバネにしていま前進した。
他人の目を気にしたからこそ、ブログを通して自分の殻を少しずつ破ってきた。
だからわたしが次は、このブログを通して先輩のように自分の人生を貫く生き方を発信していきたい。
昔のわたしのように”他人の目を気にして思うように生きられない”人たちの心の底のメッセージを代弁したい。
そして「本音を言ってもいいんだ」と、ひとりでも多くの人が他人の目から解放されて自分の人生を自分で選択できるようになってほしい。
「本音を言えない」コンプレックスがあるからこそ、人生はこれから前進できるんだと。
そして「自分の意志を貫く人生は、こんなにも生きる実感を味わえるんだよ」と伝えたい。
本音が言えないなら、焦らなくていい。
わたしは自分のちからだけではここまでくることはできなかっただろう。
あの先輩がいてくれたから、わたしはきっとここまで本音をさらけ出せるようになった。
だから、「本音を言えない」人たちは、焦らなくていいと思う。少しずつ、本音で生きている誰かを見習って、ちょっとずつ自分の気持ちを発信していけるようになれば何の問題もない。
わたしはもう本音をさらけ出せるようになったから、次はわたしがあの先輩のような立場で自分の意志を貫く人生にして、昔のわたしのように本音を言えない人たちの背中を押せる存在になりたい。
そのためにわたしは本心から思っていることは全部発信する。
嫌われるようなことも、きっと毒も吐く。
どんなに批判されても、わたしはわたしの意見に誠実でありたい。
自分の本心で感じていることを抑えつけて生きることが、どんなに窮屈で苦しかったかわかるから。
わたしの本心からでた言葉が少なからず誰かを傷つけるかもしれない。
でも、誰一人として傷つけないようにと、自分の本心を隠して発信するのは間違っていると思う。
誰も傷つけずに自分の気持ちを圧し潰す人は果たして素晴らしい人間なのだろうか?
誰にも迷惑かけないようにと、自分のやりたいことを我慢するのは正しいのだろうか?
素直な本心をぶちまける人は、悪者なのだろうか?
わたしはまだその議論の答えはでてないけれど、心の底から思っていることを隠さないで生きられるのであれば、悪者でもいいかもしれない。
だって、わたしはいま本当に幸せなのだから。