わたしは「誰とも平等に接しなければいけない」という常識を捨てることにした。
わたしは好きな人とだけ関わりたいし、好きな人とだけ働きたい。
自分が嫌な思いをしてまで人と関わる必要はないんだ。— あんちゃ@プロブロガー (@annin_book) 2017年5月31日
ブログを始めて、独立して、1年。
独立してからずっと感じていた違和感に、やっと最近気づけました。
克服したと思っていた「他人の目」を、わたしはまた気にしてしまっていたことに。
誰にでも「平等に接しなきゃ」という思い込み
去年の4月に、わたしは初めて他人の目や評価を振り切って会社を退職し、独立しました。
いままで25年間、ずっと自分の意見を持たず、周囲の意見に同調して生きていたわたしが初めて自分で下した決断。
あのときやっと、「誰の目も気にせず、自分で自分の人生を決められるようになった」と感じたのを覚えています。
この感覚を忘れずにいよう。
これからは何があっても他人の目を気にせず動こう。
そうやって日々胸に刻みながら過ごしました。
でもわたしは独立してから、まだ他人の目や評価を気にしていました。
「どんな仕事の依頼にも誠実に応えなきゃ」
「わたしに会いに来てくれた人には平等に接しなきゃ」
「せっかく誘ってくれたんだから行かなきゃ」
この、「〜しなきゃ」と思っている時点で、わたしは本当はそうしたくないんだってことに気づくべきだった。
本当は受けたくない仕事も、「あの人の仕事は受けてこの仕事を受けないのはダメだろうな」とか「これを断ってあっちの仕事を受けたら不平等かな」とか、自分で勝手に「すべての人・仕事に平等に接しなければいけない」と思い込んでいたんです。
わたしはまた人に”嫌われること”を恐れていた
なぜそう思い込んでいたのか。
それはきっとまだ心の奥底で「人に嫌われたくない」という思いがあったからなんです。
自分でも無意識レベルで、そう思っていた。
25年間の自分の性格の癖を克服するには、こんなにも時間がかかるものなんだと痛感しました。
誰かをひいきして、誰かの仕事を断って、「あいつは不平等な奴だ」「あいつは好きなことしかやらないからダメだ」と言われるのが怖かった。
でも、よくよく考えたら、「好きなことしかやらない」「好きな人としか関わらない」ことの一体何が悪いのだろう。
自分が消耗してまで、好きじゃない人や好きじゃない仕事に”平等に”関わる必要がどこにあるのだろうか。
もっとわたしは、わがままに生きていいんじゃないだろうか、と。
好きな人とだけ関わって生きていく
本当はやりたくないこと、本当は関わりたくない人と我慢して付き合うのは、会社員だったあの頃となんも変わらないじゃん、と思いました。
会社という組織で働く上では、やりたくないことをやり嫌いな人ともうまく付き合う必要性は出てくるかもしれません。
でも、わたしいま会社員じゃないじゃん。一人で働いてるし、自分がやりたいことをやるために会社辞めたんじゃなかったっけ?
それがいつの間にか、他人に嫌われることを恐れて自分の本音を隠して仕事していたんじゃないか?
なにやってんだ。
また昔の自分が元いた場所にぬくぬく戻ろうとしているなんて。
自分がそういう付き合いをすると、自分に近づいてくる人もそういう、「他人の目を気にしている人」ばかりになるんです。
本音を言わず、自分が本当にやりたいことをやらずに動いている人たち。
そのまま我慢して死ぬのか?
それで幸せなのか?
自分の安全圏を守ってるだけで、飛び出さないのか?
わたしはもう、好きな仕事だけするし、好きな人とだけ関わっていく。
応援したいと思う人だけ応援するし、会いたいと思った人だけ会う。本気で大事にしたいと思う人だけ大事にする。
やりたい仕事だけやるし、「つらい努力」はしない。
もうそんな常識はうんざりだ。