今日は、「自由な生活を手に入れたのに、全く自由じゃなかった話」をしようと思います。笑
その経験を通して、「本当の自由ってなんなんだろう」と考えた末の答えを綴ってみました。
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4年前のわたしは、「早く会社を辞めて、自由になりたい!」と思っていました。
当時のわたしにとっての「自由」とは、「組織に縛られず、場所に縛られず、時間にも縛られないこと」だと定義していたからです。
自分が不自由なのは、組織にいて、毎日決められた時間・決められた場所に出社しているせいだと決めつけていました。
そこから1年後、わたしはその思い描いた「自由な生活」を手に入れました。
会社を退職してフリーランスになって、組織にも、場所にも、時間にも縛られない生活が現実となって、最初のうちは「なんて自由なんだ!幸せだ!」と思っていました。
だけどその幸福感は、長くは続かなかったのです。
自由な生活のはずが、心はずっと不自由だった
自由になったはずが、なぜその幸せは続かなかったのか。
それは、「ライフスタイルが自由になっても、自分の内面が全く自由じゃなかったから」です。
▼当時の病み時期の記事
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たしかに自分が理想とする生活を実現することはできましたが、わたしの心の中は常に
「売上が落ちないようにしなきゃ」
「常に実績を伸ばさなきゃ」
「結果を出し続けないと誰にも認められない」
と、数字が落ちる恐怖や、得たものを失う不安でいっぱいだったのです。
だからいつもパソコンに張り付いて売上を気にしたり、目先の数字を伸ばすことに躍起になって一喜一憂したり、ある程度成果が出た途端に無気力になって病んだり…
わたしのメンタルは自由どころか、常に数字や周りからの評価に縛られていました。
要するに、わたしはずっと「本当の自由」を履き違えていたわけです。
そこからしばらく葛藤してもがいて、お金や周囲の視線からやっと解放された今思うのは、
本当の自由とは「(何かに)縛られていると思う気持ちから、解放されること」なのではないか、ということです。
本当の自由とは、外側ではなく内側にある
たしかに理想とする生活を実現させることも、自由への一歩かもしれません。
外側の世界を変えることで得られる自由は少なからずあると思います。
だけど真の自由は、外側を満たすだけでは得られないことも知りました。大事なのは、自分の内側にある何かへの執着から解放されることなんだと。
わたしの場合、常につきまとっていたお金の不安や周囲の評価への恐怖の原因は
「数字を失った自分には価値がない」
「実績がなければ人が離れていく」
と思い込んでいたからでした。
そしてそれはわたし自身が心のどこかで人を数字で判断していたことに気づくきっかけにもなりました。
いろんな人にきっかけをもらって、本当に大事なのってそこじゃないよなと気づいてからは、良い意味で執着が消え、売上が下がっても「また建て直せるだろう、わたしなら大丈夫」と思えるようになりました。
そこからは本当に心が軽くなって、たとえお金がなくても、実績を表に出さなくても、「わたしはすでに自由だったんだな」と知ることができたのです。
だから、本当の自由とはお金を稼げば得られるものでも、働き方を変えれば得られるものでもなくて、そういう「何かに囚われている」と思う気持ちからまず解放されることなんだなって。
最終的には禅問答みたいな回答になりましたが(笑)、個人的にはほんとに小さな悟りを得たような感覚です( ˘ω˘ )
もちろん自由の定義は人それぞれなので、「自分はそうは思わない」という人もいるはずです。
大事なのは、自分自身が心から自由だと胸張って言えるかどうかだし、そしてそれはタイミングや状況によっても変わると思います。
だから、わたしの経験をきっかけに、それぞれの自由について考えてもらえたら嬉しいです。