世間ではしばしば「短い期間で何かすごいことを成し遂げた人」が注目される。
「最年少で〇〇達成!」
「たった数ヶ月で〇〇に!」
たしかに短期間で成果を出すというのは誰にでもできることではないし、ものすごく努力した結果なんだと思う。
だけどこういうニュースばかりに見慣れてしまうと「なかなか結果がでない自分はおちこぼれだ」と比べてしまうこともある。
「どれだけ早く成果を出すか」に囚われていた
かくいうわたしも短期間で成果を出すことに囚われていた。
その方が注目されるし、誰しもが短期間で成果を出せるものなら出したいと思っているから、短期間での成果はかなり重宝されるのだ。
どんな人でも「なるべく時間をかけずに、苦しい期間を最小限にして成功したい」という思いはあるはず。
だからライザップが流行るのだろうし、短期間でSNSのフォロワーを増やすノウハウが出回ったりするのだ。
だけどそんな基準でやっていたとき、ふと
「短期的に成果出して、短期的に注目されて、でもそこで終わってしまったら意味がないな」
と思った。
人生は、平均寿命まで生きるとすればわたしにはあと50年くらいある。
まだ折り返し地点にも達していないのに、短期的にちょろっと成果をだしてそこで終わってしまったら、その先はどうするのか?
もちろん短期間で実力を伸ばす努力も重要。人生は長いと言いつつも時間は限られているのだから、できる限りのことはやるべきだろう。
だけどそれよりもっと長期的な目でみて大事なのは、時間がかかっても人生かけて想像もしないところまで行くことではなかろうか。
だったら、今のわたしに必要な視点は「どれだけ早く成果を出すか」ではなく「人生をかけてどこまで遠くへ行けるか」じゃないのか。そんなことをふと思った。
「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなで行け」
これはあるアフリカのことわざらしい。(結局大元の出典は不明)
アメリカの元副大統領・アルゴア氏がノーベル平和賞スピーチでこのことわざを使ったという。
この言葉通り、わたしはこれまで早く成果を出すために一人で黙々と動いてきた。
一人で動けば意思決定が早く、やるべきことは明確で、自分のモチベーション管理さえできればすぐ前に進めるからだ。
それはそれで良い経験になったし、やってきてよかったとも思う。
でもこれからは、今の自分には想像もできないほどの世界にたどりつくために、信頼できる人たちと手を組んで進みたいと思う。
意識しなければきっとすぐ目先の成果を追ってしまうから。すぐに焦ってやろうとしてしまうから。
きっと一人でやるよりもずっと大変で、苦しくて、なかなか前に進まない時期が増えるかもしれない。
でも、3年前のわたしが今の行き方を全く想像もできなかったように。
これから3年後はより一層想像できない光景を目にしたい。
より鋭く、優れた視点で物事をみたい。
だから、早く進むことよりも、遠くへ進むことを見据えたい。
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