みんなコロナに疲れてるんじゃなくて、情報に疲れている。

 

連日某ウイルスの話ばかりでそろそろみんな疲弊して、「コロナ疲れ」という言葉を耳にすることも増えてきた。

 

「コロナ疲れ」とは言うけれど、実際のところみんなが疲弊しているのは、コロナのせいではなく、コロナにまつわるありとあらゆる情報や言動が錯綜して、有象無象に飛び交うから疲れているのではないかと思う。

要は、コロナに疲れてるんじゃなくて、情報に疲れている。

 

じゃあ、なぜ情報に疲れてしまうのか。

それは、今までの価値観や考え方に揺さぶりをかけられ、人生における軸・・・いうなれば、「わたしはこのように生きていく」という意志がブレてしまうからだ、とわたしは思う。

 

 

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自分の頭で考えず、軸をもって決断できないと、不安定な時代においては特にブレブレになる。

無防備に情報を浴びて、誰かの言葉に依存し、他の人の価値基準を鵜呑みにしてしまう。

 

情報が弾丸だとするならば、多くの人はなんの盾も持たず、かわすことすらせず、モロに全身に攻撃を受けているようなものだと思う。

情報というのは、救いの綱になることもあれば、人を簡単に潰せる武器になることだってあるのだ。

 

だから、毎日ニュースを見て感情が振り回されて、終日心がザワザワするし、よくわからんインフルエンサーの過度な煽りに心がコントロールされてしまう。

そして、自分で決断をせず、感情的に行動するので、うまくいかなければその責任を他の人に押し付ける。

 

結局のところ、これは「自分の人生」ではなく、大衆を操作する“誰か”にとって都合の良い人生にさせられている、ということに気がつかなければいけない。

 

 

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だから、こんなご時世こそ、内面に深く問う時間が必要だと思う。

 

日常において、ひいては人生において、
自分がゆずれないものはなんなのか、
大事にすべきことはなんなのか、ハッキリさせなきゃいけない。

人生における優先順位がはっきり定まれば、それがその人のブレない軸になる。

 

ただ、ハッキリさせたとしても、「こうでありたい」と目指すものがあるのに
行動の優先順位がその理想の真逆をやってる人はめちゃくちゃ多い。

(情報発信できるようになりたいと言いながら、ゲームの時間を優先したりね)

 

ので、内面に問うのと同時に、現実も軸に沿って冷静に動かしていく力が必要。

 

そんなふうに、他人に委ねる人生から抜け出すと、自分のやるべきことも明確になって、いちいち感情に振り回されず、他人の情報に惑わされなくなる。

 

目的という名の盾をもって、情報を取りに行ける。

だから攻撃もうまく吸収して、自分の成長につなげていくことすらできる。

 

不安定な時代の波にも、むしろ乗りこなせるようになる。

 

そんな生き方のほうが、よっぽど自由で、躍動感があるんじゃないかな。

 

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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