以前腎臓がやられていろんな病院を駆けめぐったときがあったのですが、担当するお医者さんによって全然説明の仕方が違ったんです。
そこでわたしは「一体どのお医者さんを信じればいいんだ?」となったんですが、最終的に気づいたのは
「たとえ煮え切らない回答だとしても、本当のこと・真実を言ってくれる人の方が信頼できる」
ということでした。
断定されると安心する。でも信頼できるかは別。
たしかに自分の症状に対して「あなたの病名はこれで、ここが悪くてこれが原因だから、こういうふうに治しなさい!」と言ってくれる人の方が一見自信があって安心できます。
「そうか、お医者さんがそこまで断定してくれるならきっと大丈夫だ!」と多くの人は思うはず。
でももしその意見が、そのお医者さんの経験や推測だけに頼った主観的なものだとしたら。
わたしに当てはまらない可能性だって充分あり得ます。
(実際言われたように薬飲んでも全然ダメじゃん…ってことありますよね)
それとは逆に別のお医者さんに
「断定はできないんだけど、この症状はこれとこれに当てはまる可能性がある。全て把握したわけじゃないし、人によって異なるからこれだ!とは言えない」
と言われたらどうでしょう。
多くの人は「なんだ頼りないな。ハッキリさせてくれよ!」と思うはずです。
でも実は後者のお医者さんは、「どれに当てはまるかは人それぞれでわからない」という本当のことを伝えてくれています。
どちらが相手のことを考えているか?
断定的な発言をする人の話を聞くと安心するし、この人は頼れそう、魅力的だと感じます。
なぜなら自分で難しい判断を下さなくていいからです。
だけどその人が信頼できるかどうか、という観点で見るとまた答えは違ってきます。
反対に、「こっちの可能性もあるし、こっちの可能性もある」と煮え切らない答えで白黒ハッキリしない物言いをする人だと、多くの場合は不安になります。頼り甲斐がないと思います。
なぜなら難しい判断を自分で考えて決めなきゃいけないからです。
だけど本当にあなたのことを思って、考えたうえで伝えてくれるのは後者であることも多いのです。
「選択肢は提示できるけど、絶対とは言えない。大事なことだから自分で判断してくれ」というスタンスだから。
上記のお医者さんの例で言えば、断定的な発言をする人であれば、その人が言う治療法しか答えはないと多くの人は思います。
でもいくつか選択肢を提示してくれる人であれば、自分の体を考えながらそれらの選択肢を試すこともできます。
物事を断定するとは、他の可能性を切り捨てることです。
なにかを言い切れることは力強くて頼り甲斐がある。だけどそれが本質的かどうか、と考えたらそうは言い切れない。
魅力的な人と、信頼できる人は必ずしも一致しない。
これはお医者さんに限らず普段の日常生活にも同じことが言えます。
情報発信においても、多くのインフルエンサーはそれぞれの立場が明確で、発言が断定的である場合が多い。
もちろんそれはその人の個性として重要だし、そのスタンスを否定するつもりはありません。
(わたしだって主観で話すことは多々あります)
ただその発言が受け手側にすべて当てはまるわけではないのです。
その人にとってはベストであることも、別の人にとってはそうじゃないことなんてたくさんある。
例としてわかりやすいのは、「会社は辞めるべき!」といった議論ですかね。(笑)会社を辞めるべきな人もいればそうじゃない人もいるので、すべての人に当てはまる正解なんか無いわけで、みんな主観で述べているのです。そう考えるとこの議論自体が終わりの見えないものですよね…(それが建設的な議論になれば良いと思うけど、多くの場合は感情論で終始してしまう)
大事なのは、「この人はそういう主観を持っていて発言をしているんだな」と気づいて、鵜呑みにせず自分で考えて活かすこと。
そしてそういう認識を情報発信する側も意識するのが大事ですよね。
わたしはどちらかといえば周りの人に信頼される人間でありたいので、なるべく相手の立場を考えながら断定せず伝えられるように努めたいなと思います。
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