コーヒーと神社。

 

新年あけましておめでとうございます!

 

2021年、怒涛すぎて記憶があまりないのですが(笑)、今年も正月からエンジン全開で働いております(`・ω・)b

 

 

年末年始は、シロフクコーヒーも大盛況でして、常連のお客様もご挨拶をかねてたくさんお越しいただきました^^

今年はもっともっと人を育てていかないといけないし、シロフクのコーヒーも全国に届けていきたいなと。立ち止まってはいられないわけです。

 

ってわけで昨日は、新年一発目に、スタッフみんなで営業後にコーヒー勉強会をやりました。

 

真ん中のクッソ猫背があんちゃです(自分でもびっくりした)

 

 

何をやったかというと、全員で同じコーヒー豆を使ってドリップして、飲み比べをするというもの。

 

同じ豆、同じ器具、同じタイミング・抽出時間でも、本当に人によって風味が違うんですよね。

 

 

 

わたしがシロフクに入った最初の頃も、よく店長のこがさんがドリップを淹れてくれて、そのあと見よう見まねで、自分も淹れて飲んでみたら、その違いに愕然とする・・・みたいなことがありました。

 

もちろん、コーヒー豆だって同じ粒はひとつもないですから、多少味が変わるのは当然なのですが、それでもやっぱり

「こがさんが淹れたコーヒーは、〝余韻〟と〝味の奥ゆき〟の次元がちがう」

というのが、素人のわたしでもはっきりわかるレベルでした。

(ちなみにわたしが最初淹れたコーヒーは、薄すぎて味がしなかった。こがさんと同じ分量で淹れたのに。笑)

 

 

それは結局のところ、どんなに本で勉強して情報をつめこんでも、たどりつけない境地で。

肩書きや表面的な評価だけで人を判断できないのと同じで、コーヒーも、本に書かれた情報を覚えるだけでは、その良さを引き出すことはできないわけです。(もちろん、勉強も必要だけど)

 

 

だから、ある程度知識を得たら、あとは、こがさんのように淹れるには「五感フル稼働で、からだに染み込ませていくしかない」ということ。

 

こがさんの、コーヒーに対する姿勢、向き合い方を、必死で感じて、その感覚を自分にうつしていく。

どんな香りが立つのか。

どんな音が鳴っているのか。

どんな風にコーヒーに触れているのか。

 

それは、五感を研ぎ澄ませて、見ていかないと、決して自分の中に落とし込むことはできないんですよね。

 

 

 

 

ところで、シロフクコーヒーはじめ、ゆにわの系列店では、毎年、年末に伊勢神宮にお参りしたり、新年にはお客さんとも一緒に初詣に行ったりと、日本の神社、文化、精神性を大事にしています。

 

 

それは、膨大な情報が渦まく不安定な現代において、

〝五感〟を整えるためであり、

動乱の時代の中で、心の静けさを保つためであり、

日々、自分の力の及ばないところで、たくさんのもの・人に支えられていることを改めて感じるためであり、

目の前のことに忙殺されぬよう、自分のことだけ考えてしまわぬよう、一旦立ち止まって、誰かの幸せを祈るため、でもあります。

 

 

稀代の経営者も、歴史の偉人たちも、外資の巨大企業の幹部までも、わざわざ会社の中に神棚を祀り、神社へ参拝するのは

いつなんどきも〝祈り〟の状態で、仕事に向き合えるように、人と向き合えるようにするためだったのだと思います。

 

 

日本人は古来から、アニミズム(自然信仰)が根付いていて、天地自然にも、あらゆる身の回りのものにも、神様が宿っていると考えていました。

そして、それらによって自分は生かされているのだと、常に感謝して過ごしてきました。

 

 

本当に神様が宿ってるかどうか、というよりも、そういう敬いの気持ちで、すべてのものに向き合う精神性が、日本人の根本にあるわけです。

 

 

わたしがシロフクに入った頃、店長のこがさんからは、そんなお話をたくさん聞かせてもらいました。

それまで「全部自分の力で結果を出してきたぜ!!」と調子こいてたあんちゃは、見事にテングの鼻をへし折られ(笑)、少しずつ謙虚さを取り戻していったのでした。w

 

話を聞く中で、「あ、こがさんは、神社で手を合わせてお参りするような気持ちで、珈琲と向き合ってるんだな」というのが、ひしひしと伝わってきました。

 

そんな気持ちでコーヒーを見たこともなければ、淹れたこともないわたし。

そりゃ、違うわな、、と背筋を糺される思いでした。

 

 

 

 

 

それから約2年が経って、ちょっとずつ、感覚を磨いてきた中で、

わたしにとってコーヒーというのは、ある意味神社そのものであり、祈りを捧げる対象になりました。

(というか、昔の日本人なら、これが当たり前の感覚だったと思いますが・・)

 

 

もちろんコーヒーだけでなく、身の回りのものすべてに言えることです。

(だから、シロフクに来て、ゆにわに出会ってから、モノの扱い方と空間の使い方が本当に変わりました。)

 

 

そういう想いで淹れた一杯は、どこか洗練されて、奥ゆきがでるなぁと思います。

イライラしながら淹れたコーヒーをお客さんに出すのも失礼ですしね。笑

 

コーヒーの世界も、茶道と同様に、ものすごく奥深いです。

 

 

 

そんな、祈りをこめたコーヒーを、今年も出させていただきますので、大阪に来られた際はぜひお越しくださいね( ˘ω˘ )