「日本の〇〇を変えたい」
「この業界のここを変えたい」
世界を変えるとまでは言わずとも、なにか社会の一部分を変えたいと思う人は多いはずです。
もちろんわたしもこの国の働き方や性のあり方に疑問を持っていますし、その現状を変えたいとも思っています。
ただひとつ言えるのは、何かを変えたいと思ったら、まず自分が変わらなければならないということです。
たとえば「地方をもっと活性化させたい!」と思っているのに、自分自身は普段の生活からなにひとつ行動しようとしない、とか……。
「優しい社会を作りたい!」と思っているのに、自分の心身を痛めつけたり自分に反対してくる人には怒鳴りつけたり、とか……。
まず自分を活性化できない人に、それより規模のでかい地域を活性化することはできないし、まず自分や身近な人に優しくできない人に、社会を優しくすることはできないと思うのです。
なにかを変えたいと思いながら自分は変わろうとしないのは、テレビの前で寝そべりながら画面に向かって文句ばかり垂れているのとほとんど変わらないんですよね。
「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、これは「小さなことにとらわれて全体を見渡せていない」ことを意味します。
このことわざはごもっともだと思いますが、逆に「森を見て木を見ず」も言えるんですよね。
規模の大きなことにとらわれて、その規模を成しているひとつひとつの部分に目を向けられていない。
まさに「灯台下暗し」のようなことが起こってしまうと、うまくいかなかったりする。
地域を形成しているのは自分を含むひとりひとりの人間だということ。
日本という国を作ってるのは自分を含むひとりひとりの人間だということ。
世界を作ってるのは自分を含むひとりひとりの人間だということ。
だから、自分を変化させられないひとに、他人も、国も、世界も変えられないし
自分自身、ひいては身近にいる人たちを大切にできないひとに、地域や国を大切にすることはできない。世界を平和にすることはできない。
世界平和を叫ぶまえに、まず自分の心を平和にしよう。
身近にいる大切な人との関係を平和にしよう。
以上、わたし自身への自戒でした。(これ、わかってても実践するのは本当に難しい。)
世界を変えるためには、まず自分の目の前にいる人たち、ひいては自分自身を変えることから始めなきゃいけない。
— あんちゃ (@annin_book) October 25, 2018
世界を平和にしたいと思ったら、まず自分の目の前にいる人たち、ひいては自分自身を大切にすることから始めなきゃいけない。
— あんちゃ (@annin_book) October 25, 2018
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