「取り柄のない凡人」がコンプレックスだったわたしの人生ストーリー①

 

 

わたしは泣きながらピアノの前に座っていた。

 

 

 

幼少期の記憶をたどっていつも思い浮かぶのは、ピアノの前で悔しくて泣いている自分の姿だ。

 

 

6歳頃から習い始めたピアノ。

母親が弾いている姿を見て、わたしも弾けるようになりたいと思った。

 

 

毎日必ず30分以上の練習をした。

もちろん常にやる気があったわけではなく、「努力はしたくないけど発表会ではうまく弾きたい」なんてことも思うほどには典型的な怠け者だった。

 

 

そんな甘ったれたわたしを、母は甘やかすことなくピアノの前に座らせた。

「練習しないならやめなさい」

そんなことも言われたような気がする。

 

 

でも歯を食いしばってやめなかった。

ピアノがなくなったら、わたしにできることがなくなってしまうから。自慢できる事がなくなってしまうのが、怖かったから。

 

そう思うと、この時期からもう「取り柄のない凡人」であることへの抵抗は始まっていたのかもしれない。

 

 

 

 

小学2年生のときにピアノのコンクールに出場した。

何度も何度も課題曲を練習して、同じところでつまずいて、どうしても先生のように綺麗に弾けなくて、泣いた。

 

なんでこんなにできないんだろう、どれほど練習すれば弾けるようになるんだろう、ゴールが遠すぎて楽譜の音符を追うのもつらくなった。

 

 

毎日ひとりで、ピアノに映る不甲斐なくて情けない自分と向き合った。今にも泣き出しそうな自分の顔が心底嫌いだった。

 

うまく弾けない自分にイライラして鍵盤を叩いた。

 

 

わたしの指の力が弱いせいだ

手汗が止まらないせいだ

家のピアノの鍵盤が重いせいだ

 

いろんなものに責任を押し付けて泣いた。

 

 

当日まで出来る限りの練習はしたつもりでコンクールに臨んだ。

審査員の人たちの前でピアノを弾くわたしは、自分でも別人のように感じた。

ここではじめて「緊張」というものを知って、足がすくんで、指が震えた。人前に出るのが怖いと思った。

 

 

 

結局コンクールは予選でダメだった。

予選通過の歓声が聞こえる会場を見渡した。

 

 

「ああ、きっとこの世界はわたしより何倍も練習して、苦しんで、泣いて、がんばった人たちで溢れているんだ」

と思ったら、意外とすんなり諦めがついた。「自分なりのベストを尽くしたつもり」だけでは、努力は報われないのだと知った。

 

「がんばったね」と母が認めてくれたことが唯一の救いだった。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

ちょうどその頃、両親の仲が悪くなっていたのを察していた。

 

食卓には会話がなかった。

 

父はピアノのある部屋でずっとパソコンをいじっていた。一緒に寝ていたはずの父の寝床はいつの間にかその部屋にうつっていた。

 

わたしと妹と母は同じ部屋で布団を並べて寝ていた。

なんとなくこの生活が長く続かないことに気づいていた。

 

 

 

ある日の夜、布団で横になっていたら、隣にいた母から

「離婚することにしたから、この家を出て行くよ」

と告げられた。

 

わたしは「そっか」と心の中でつぶやいたのだけど、いつの間にか涙がでていた。

母に「悲しい?」と聞かれて頷いたのだけど、それは父と離ればなれになるから悲しいのではなく、大好きな家を離れなきゃいけないことのほうが悲しかった。

 

 

父と過ごした記憶はほとんどなくて、アルバムの写真を見直して「そういえばまだちっちゃいときに一緒に動物園行ったな」とぼんやり思うくらいだった。

 

ほとんど休みなく仕事に行って、家にいるときはずっとパソコンの前にいる父。

構ってほしいという感情はなく、ただただ「そういう人なんだ」と思っていた。

 

だから父と離れることに関しては、特別さみしいとかいう感情は抱かなかった。

それよりも会話のない冷たい食卓で時間を過ごすことのほうがしんどかったから。

(後述するが、父とはそれから15年くらい会わなかった)

 

 

 

 

そうして大好きだった家を出て、母方のじいちゃんばあちゃんの家に住んだ。

 

平穏だったかと言われれば、素直に頷く事はできない。

厳格なじいちゃんと口出したがりなばあちゃんが、母になにやらいろいろ言っているのはなんとなく聞いてたし、母もこれからのことでたくさん悩んでいたんだと思う。

 

母が自分の部屋で泣いているのが、隣のわたしの部屋に聞こえてくることもあった。

 

 

母は苦しいこと、つらいこと、悩んでいることは子どものわたしたちには一切言わなかった。

「あなたたちは知らなくていいから」と、とにかく絶対弱音を吐かなかった。

 

子どもからすれば親ってサイボーグのように強くて頼りになる存在だと思うものだけど、このときは「お母さんって、強くて、弱いんだな」とぼんやり思った。

 

嫌な事があっても絶対誰にも相談しないわたしの性格は、母親ゆずりなのかもしれない。

 

 

 

だけどなんとなく母が苦しそうにしているのは察してしまっていたので、なるべく母に迷惑をかけまいとひそかに誓った。

母が苦しむ姿を見ればわたしも悲しくなる。だからせめて、わたしだけは、母を苦しめないようにしようと。

(と言いつつ冬の公園で転倒して左腕を複雑骨折して、駆けつけた母を貧血にさせてしまったのだけど)

 

 

そこから母が再婚するまでは、しばらくその生活が続いた。

 

 

 

つづく

 

次の記事>リアルで拠り所をなくした私のインターネットとの出会い。

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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