残暑の中に涼やかな風が舞う9月のはじめに
自社の農園(通称「ゆにわ農園」)で
お米の収穫を感謝する「抜穂祭(ぬいぼさい)」を行いました。
(神主さんが祝詞を奏上し、「刈女(かりめ)」と呼ばれる人たちが稲を刈っていきます。わたしは雅楽演奏で。)
稲穂がほんとうに美しくきらきらと輝いていて、
日本全国の豊作を願わずにはいられませんでした。
(米騒動もありますし)
ちなみに、お米に関する儀式は、5月には「御田植祭」を、11月には、収穫物を神様におそなえする「新嘗祭(にいなめさい)」があります。
お米は日本人の原点ですからね( ˘ω˘ )
日本神話では、天照大神が、ニニギノミコトに黄金の稲穂を授け、地上に降り立ったニニギが、稲作を広めた・・とあります。
ですから、「お米は天からの頂き物」として、今でも皇室や伊勢神宮、各地の神社でも、お米の祭祀は続いていますが、昔はそこらの田んぼでも行われていたそうですね。
(最近はめっきり見なくなりました・・)
今ではいろんな加工食品が増えた結果、
「〝命〟をいただいている」という意識が薄れているのも事実かと思います。
別に加工食品が悪いとかではなく、その背景には多くの動植物の命があり、それらを育てる人たちがあり、すべての命をはぐくむ大自然がある。
そういうことを、人が忘れはじめたとき、感謝を忘れ、「人間がすべてを生み出している」という傲慢な生き方になっていくのでしょう。
(そうして自然を意のままに操って、木々を切り倒しまくって、異常な規模のソー○ーパネルを作っていく・・・(OvO))
いまあるわたしの命は、あらゆる犠牲の上に成り立っていて、大自然の恵みをいただきながら生きていると思ったら、
もはや自分の命は、自分だけのものではないとすら感じます。
だから、ヤケクソに生きるんじゃなくて、いただいた命を使いきって、誰かのために燃やしきって、天に還りたいですね。
日本人には昔から〝おかげさま〟の精神が根付いていて、
仕事も、住まいも、食事もぜんぶ、
「おてんとさまのおかげ」「みんなのおかげ」で謙虚に生きていた。
「わたしが作った」「俺がやった」のではない、という感覚。
だから、ありがたいなぁと思える。自分も誰かのために手を貸そうと思える。
ぜんぶ、〝おたがいさま〟ですね、と。
そういう気持ちで日々過ごしたいなと思います。
ちょっと油断すれば、個人主義の波に飲み込まれてしまう現代だからこそ。
大自然のおかげで、周りの仲間たちのおかげで、わたしが生きてる。
だからわたしも、誰かのために、命を使おう。