写真家の藤原新也さんのエッセイの中で、
手を合わせて、必死に祈る母の姿に
「一生、懸命(いっしょう、いのちをかける)。」
という言葉がのせられているのを見て、ハッとした。
一生懸命ということばが
あまりに当たり前で
ありふれたものになって
「いのちをかける」という自覚すらなく
安易に、軽々しく、使っていた、気がする。
究極的には
すべての瞬間、
一分一秒が
〝一生懸命〟
であるべきだし
そこには、いつ死んでも悔いはない
という〝死〟との対峙があるからこそ
〝生〟をまっとうできるとも言える。
「一生懸命」の真意・・・
それは
いつでも死と隣り合わせであることを
ありありと感じて生きること、
にあるのではないか、と思う。
うーん、
わたしはまだ
「一生不懸命」なことが多いかも。
まだまだ修行が足りませぬ。