こんにちは。クソマジメゲスブロガーのあんちゃです。
最近ふと思うことがあります。
忙しさを理由に大切なことをし忘れていないだろうか?と。
ふとこんな思いが沸きおこってきたときに、本屋さんでちょうど目に入ってきたこの本。
過去を振り返ることは無駄だと思っていたけど、むしろ過去の見落としていた部分を思い出すことは明日の自分のガソリンになることを知りました。
忙しさを理由に大切な事を犠牲にするわたしたち
本のあらすじ
主人公は仕事一筋の人生を送ってきた54歳のリーという男性。ある日突然リストラにあい、職を失ってしまう。
これから職探しをしようとするときにふと自分の人生を振り返ると、自分がいかに忙しさを理由に人間関係にいい加減になっていたかを知る。
それからリーは職探しのかわりに1年間、果たせなかった約束を果たし、失っていた絆を取り戻す旅にでる。
大切なことは”今”やるべきだ
リーは、「仕事の忙しさ」を言い訳にして、
15年間会っていない祖母と連絡をとらなかったこと、落ち込んでいる友人へほんの一言励ましの言葉さえかけなかったこと、旅の途中で出会った少年との約束を果たせなかったこと、などを思い出したんです。
そしてリーは中途半端にしていた人間関係を取り戻すという「人生の宿題」を果たすために旅に出た。
これ、いま忙しく働いている20代にも当てはまるんじゃないかなーって思います。
「いつか連絡しよう」
「いつか会いに行こう」
その「いつか」は突然叶わなくなってしまうことだってありますよね。大切な人が明日も生きている保証はどこにもないですよね。
みんな目の前のことに必死になって、大事なことを忘れちゃうんですよね。どこかで一回、「人生の宿題」を片付けるべきなんじゃないかなぁ。
死ぬ気で働くことが幸せにつながるのか?
この本を読んでてまず心に刺さったのが
”昼も夜も働き、仕事を最優先するひとだけが出世できる”
”良い夫、良い父親、良い友人になっていては出世できない”
というフレーズ。出世だけを目指して仕事だけに集中することが本当に幸せなのか?
そもそも仕事で出世するのはなんのためなのか?
自分の生活を充実させるため、家族を養うため、大切な人を守るために出世したいと思うんじゃないか。
なのに、自分の時間を削って、家族との時間を削って働くことが本当に正しいのか?
一生懸命働くこと自体はダメじゃない。
ただ、出世することが手段ではなく目的になってしまって、大切なことを見落としていないかが問題だと思うんです。
先延ばしにしてたもの、やらずにいたものを棚卸ししよう
親への連絡、喧嘩したまま終わってしまった友人への謝罪。
なぜ今までやらなかったのか?
人は面倒だと思うものや勇気がいることを先延ばしにしたがるので、忙しさを理由に逃げるんですよね。
それをやらずにいても、誰も咎めるひとはいないけど、でも自分だけはその罪を意識しつづけ、そんな自分を批判しつづける。
だからまずは、人生の宿題を棚卸しすると良いと思います。
その忙しさは何のため?もう一度考えよう
いまの忙しさが、なんのためなのか。
なにか大切なものを守るため、実現するために忙しいはずなのに、肝心な「大切ななにか」を見落としちゃうことってよくありますよね。
目の前の忙しさに追われて、自分を成長させる経験や、満たしてくれる経験の優先順位を下げていないかもっかい考えるべきだと思います。
正しいことにエネルギーが使えるように。
あんちゃも人生の宿題を考えてみた
・実父に会って、まだ一度も言っていない「育ててくれてありがとう」を伝える
・フェイスブックでつながったまま10年以上会っていない地元の友人に「あの時一緒に遊んでくれてありがとう」を伝える
・義父の「キャンピングカーで日本一周する」という夢の実現を手伝う
・わたしの人生を変えてくれた先輩に、「わたしはいまめっちゃ幸せです」と伝える
・最も青春していた高校の部活の顧問の先生に「あの経験がなければこんなに図太く生きることはできませんでした」と伝える
・・・・・。
なんだこれ・・・・・まるで 今日が人生最後の日みたいだ・・・・・(´;ω;`)
でも、こういうことが、自分にとって本質的に大事なことなんだなって気付きました。
いやーこの本に出会えてよかった。
恥ずかしさや、恐れを捨てて、感謝を伝えよう。