この半年くらいずーっと文章を書くことが「しんどくて苦しいもの」になっていて、「書かねばならないもの」になっていて
全然筆が進まなかった
なんでだろうなって、なんでこんな苦しいんだろって
それはきっと、正しいことを伝えなきゃとか、この思いや考えを誤解なく伝えなきゃとか、
記事としてちゃんとオチをつけて、読んでいる人がひとつでも学べるものがつまっていて、有益なものを届けないとって気持ちが先走るあまり、
その気持ちによって、自分が日々純粋に感じたこととかを綴ることができなくなっていたなって
「良いことを言わなければいけない」
「誰もが感動するような言葉を並べなければ」
いつからそんなカッコつけの人間になったんだ?って
自分ではほんとに無自覚だったんだけど、知らない間にずっと自分自身で縛りつけていた。
そういう、カッコつける生き方自体、もっともダサいということにも気付かずに。
大事なのは、綺麗に書くことでも、良い話しを書くことでもなく
たとえば今日淹れたコーヒーが、涙がでるほど美味しかったとか
コーヒーが飲めなかったお客さんが、「ここのコーヒーだけは飲める!」と喜んでいる姿を見て、胸の奥があったかくなったことだったりとか
一緒に働いてる仲間が、抱え込んで潰れかけてた私を見兼ねて手を差し伸べてくれたことだったりとか
「自分の弱さから逃げんな」って、真正面から言ってくれる人たちがいることだったりとか
その嬉しさや、葛藤や、歓喜を、かみしめて、そのまま言葉にするだけのことなんじゃないかと。
けどそれが、いつのまにかできなくなっていた。
自分で全く自覚がないうちに、ジワジワと自分で首をしめていっていた。
たった今、一緒に働いてる仲間から
「ずっと苦しそう。”〜しなきゃ”って思考にずっとなってる。ほんとは、働くのも、文章書くのも、そういうものではないんじゃない?」
とストレートに言われたときに、やっと気づけたほど。
あーーーすごいダサい働き方だったな、
自分で苦しみを生み出してたんだな、
自分のことも、人のことも信じれてなかったな、
と、その弱さを自覚した。
でも、そんなダサい面も含めてわたしなんだと
そんな部分すら、ネタにできたら、誰かの苦しみにもちょっとは寄り添えるかなと
「まぁいろいろうまくいかんし、失敗もしますけど、見ててくださいや」
っていう心持ちで、いまこれを走り書きしている。
うーん、うまく言えないのがもどかしいけど、
綺麗に書かなきゃいけないっていう癖から抜け出すためにも、思ったことを、そのまま書いておく。