ブロガーのあんちゃです。今回は壮絶な転職経験をされた男性の体験談です。なんと高卒〜30歳のあいだに13回転職しているそうで・・・。アラサーになってからのリアルな転職談を伺ってきました。
(ちなみに現在は東京都内でカフェを経営されています!)
高卒でレジャー施設運営会社へ入社
高校までは北海道にいたハルキさん(仮名)。北海道で仕事が見つからず、卒業後は上京してレジャー施設の運営会社へ就職。
パチンコ店での勤務になったそうですが、仕事自体は楽しく、今まで自分を素直に出せなかったハルキさんはお客様に「ありがとう」と言われるのがとても嬉しかったとのこと。
しかし、19歳のときに職場の先輩とケンカし、バチンコ店を退職。
ハルキ「理不尽にキレる上司だったんですよ。それが耐えられなくて、”今日辞めます”といって即日で退職しました」
その後の職はタウンワークなどで探し、つぎもパチンコ店へ。
次のお店は実力主義で、がんばりを認めてくれる会社だったそう。
あんちゃ「こっちは良さそうな雰囲気ですね」
ハルキ「はい。実力を認めてくれてすぐ責任者になったのですが、ぼくより年上のアルバイトの人が多く、そこでひがみというか反感を買ってしまいまして。。」
あんちゃ「あー仕事あるあるだ」
ハルキ「当時のぼくは異常な責任感で、そうやって反発してくるバイトの人たちに暴言を吐いちゃいまして、バイトの人に”パワハラで訴える”と言われ、逃げるように辞めました」
あんちゃ「すべらんなー。。。」
売上至上主義のケータイ販売会社へ
その後はケータイ通信会社へ入社したハルキさん。ここでも試練が・・・
ハルキ「まず社員研修でなぜか訓練だとか言いつつ30キロ歩かされました。会社での挨拶はすべて”オス”。ちなみにこれ、”お早うございます”、”お疲れ様です”、”おめでとうございます”を全部略してオスです」
あんちゃ「効率いいのか頭悪いのかわからんな」
そこではテレアポ営業にまわったハルキさん。そこではひたすらアポをとるか、向こうからガチャ切りされるまで電話を切るなという鬼畜具合。
ハルキ「なかにはガムテープで手を受話器にしばられてる人もいました」
あんちゃ「そんなドラマみたいな体育会系の会社があるなんて・・・」
そこからハルキさんは異動希望をだして店頭販売へ。とにかく接客したかったのだそう。
ハルキさんはそこでもパチンコ店で鍛えられた接客で意地をみせて、わずか1ヶ月で店長になったそうです。
ハルキ「そこまでは良かったんですが、とにかく売上至上主義の店舗で、店側にメリットのあるものしか客に勧めるなと言われ、こんなの望んだ接客じゃないと違和感を感じるようになってしまいました。」
あんちゃ「ケータイ販売はどこもそうなんですかねぇ。。」
ハルキ「接客の良し悪しよりも、売上しか見られない状況で、しかも休みもないし薄給。ここもすぐに辞めました」
文化的な生活ができないワークスタイル
ケータイ販売を辞めたハルキさんは、次に福利厚生の良い静岡のパチンコ店へ。
仕事は順調だったようですが、ここで突然のヘルニアに。そこから上司との馬が合わなくなって、腰も限界にきて退職。
その後、某新聞社に入社し正社員になったそう。
あんちゃ「それにしてもフットワークの軽さ半端ないですね。ヘルニアなのに」
しかしそこでの正社員は配達・営業・集金をすべてやらされるという鬼畜の所業が待っていました。
ハルキ「出社は深夜2時で、朝6時まで配達。そのあとちょっと仮眠して10時〜16時で営業したり集金に出たり。16時〜18時は夕刊の配達をして、20時〜22時でまた営業と集金をやってました」
あんちゃ「もはや人間じゃない」
休日は月3日、月給13万。
「どう考えてもおかしいだろ」となり、2ヶ月で退職。
ハルキ「そのあとは福井県にいって、初めて工場勤務を経験しましたが、そこで働いている人たちが”カイジ”の漫画にでてきそうなやばそうな人ばっかりですぐ逃げました」
あんちゃ「ええとこれ何回目の転職だ、もうなんでもいいか」
身も心もボロボロに。「生きるのがつらい」
そのあとハルキさんは神奈川にいき、某飲食チェーン店に正社員で入社し、副店長に。
ハルキ「フランチャイズで独立する気だったので、休日関係なく働いてました。だいたいいつも9時出社~14時で働き、14時~17時は休憩という名の仕込み。17時~キッチンをひとりでまわして、22時~深夜1時は締めの作業をして4時帰宅。毎日これを繰り返してました」
あんちゃ「毎度毎度なぜそんなにがんばれるのですか・・・」
しかしこの時ちょうど、震災が起こり、その影響で工場が全停止。
あらゆる機能が失われた状態で、人件費削られて正社員は過酷なサービス残業をすることに。
ハルキ「こんな状況下で辞めると言うこともできず、残業代が全然でないままひたすらずっと働いていました。このときは本当につらくて、ずっと生きるの疲れたって感じてました」
精神的に追い詰められたハルキさんは、本気で「自分の人生終わりにしよう」と決意。
だけど、どうせ終わる命なら、その前に自分の残っているお金でボランティアして終わろうと考えたそうです。
ハルキ「店はもう逃げるように飛び出して、震災地の福島までバイクをとばしていきました。もう今までできなかったこと全部やろうと思って、おいしいもの食べたり金髪に染めたりしました。あと初めて風俗も行ったし。貯金は全部使い果たしました。」
あんちゃ「もうどうにでもなれって感じだったんですね」
ハルキ「で、震災地についたんですけど、飛び入りのボランティアはなかなか受け入れてもらえなくて、結局何もできませんでした。でも、そこで懸命に生きている人たちを見て、ぼくも”もうちょっと生きてみよう”と思えたんです」
アラサー男、起死回生へ
以前から独立願望のあったハルキさんは、派遣の仕事をやりながらそのかたわらでいろんなイベントに参加し、人とのつながりを作っていったそう。
ハルキ「週に9回は飲み会やイベントに参加しましたね」
あんちゃ「相変わらずのフットワーク恐れ入ります」
ハルキ「そこでもまた100万円詐欺にあったりしていろいろあったんだけど、そこでようやくカフェの経営の話が持ち上がったんだ」
あんちゃ「いや待て詐欺の話のほうが気になる」
ハルキ「カフェの経営を手伝ってみないかって話をいただいて。不安もあったんですが、”どうせ一度捨てた身だ”と思えば失敗してもどうとでもなると思えました」
ちなみにハルキさんはこのカフェの経営を数年経った今でもやっており、その規模も毎年大きくなっているそうです。
13回の転職にしてついに起死回生。
今までの転職を振り返って
めまぐるしい経験をされてきたハルキさん。ここまでくるのにきっとたくさんの教訓を得たはず。
ハルキ「やっぱり被災地での出来事が頭から離れないですね。ぼくは震災がおこってから2ヶ月後の5月に福島に行ったんですが、ビルに車が仰向けになって突っ込んでたり、高いマンションの上にでかい船が乗り上がってたりして、あんなに秩序のない世界を初めてみました」
あんちゃ「想像を絶する光景だったんですね。。」
ハルキ「”今まで普通に生きてた人たちが一瞬で命を落としてしまったのか”と。そこから自分の世界観が一気に変わりました。もっと生きなきゃいけない、と。」
カフェを経営するときも「死」を覚悟したからこそ失敗なんてどうでもよく感じられた。生きて挑戦できることはこんなにありがたいことなんだと、わたしも感じさせられます。
アラサーで転職したい人に一言
あんちゃ「ハルキさんは転職するときはいつもどうやって職探ししてたんですか?」
ハルキ「転職サイトをひたすら登録するか、知り合いの紹介か、って感じですね。タウンワーク、エンジャパン、リクナビ、転職会議など使ってました」
あんちゃ「最後に、今の仕事にモヤモヤしている人や転職したい人に一言!」
ハルキ「ぼくはいろんなイベントに参加するようになってから、たくさんの価値観や働き方を知ることができました。だから今の会社しか知らない人は、ぜひもっと外の世界をみてください。」
大ボリュームの転職談、ありがとうございました!
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