僕が大手銀行員を退職してフリーランスになるまでの過程を全て話そうと思う

プロブロガーのあんちゃです。「いろんなフリーランスを紹介する企画」第5弾となりました!

今回は大手銀行マンを辞めて、フリーランスのブロガー&投資家として活動している「Ryohei」さんの体験談です。

———–▼それではどうぞ!▼————-
 

始めに、簡単な自己紹介をしたい。

 

僕は大学卒業後、㈱三菱東京UFJ銀行に新卒で入社した。

入社してから2年間は、地方の営業店で中小企業の営業担当をした後、東京の本部に転勤。
そこで1年半ほど大企業のファイナンスを担当をするなど、順調な銀行員生活を送っていた。

ただ、サラリーマンとして働くなかで、銀行という組織にどうしても馴染めない気持ちがあり、「これからは、自分の好きな事を仕事にして、自由に生きたい」という思いで、入社4年目の冬に退職した。

それから1年が経ち、現在は、フリーランスのブロガーとして活動中。
好きな事を仕事にして、自由に生きる事ができ、充実した日々を送っている。

 

今回は、僕がサラリーマンから独立した経緯と理由、そして実際にフリーランスとなって感じた事を全て話していきたい。
退職までの葛藤、恐怖で足が震えた瞬間、一歩踏み出した自分の思い、今フリーランスになって感じる事など、一つずつ丁寧に書いていきたいと思う。

 

この記事は、サラリーマンからフリーランスへなりたい人へ向けて綴ったものだ。
足元に敷かれたレールから一歩踏み出すための、その後押しとなる事ができれば、僕にとってはこの上ない幸せだ。

 

1.僕が三菱東京UFJ銀行を志望した理由

まずは、就職をする際に三菱東京UFJ銀行を志望した理由を話したい。
これは非常に単純で、ざっくり言うと『人が良かったから』だ。

僕は多くの就活生と同じように、将来自分がやりたい事なんて明確に持っていなかったし、大学を卒業したらサラリーマンになるのが普通だとも思っていた。

だから皆と同じように大企業をただ目指し、特に惹かれてもいない業種の企業を幅広く受けていた。
その中で、面接を通して出会った三菱東京UFJ銀行の社員の方々の人柄の良さに惚れ込んで入社を決めた、という流れだ。

 

この理由が今思うと良くなかったのは、『好きな事を仕事にしたわけでは無かった』事だ。
後ほど話すが、僕は3年9か月の銀行員人生で、仕事が楽しいと思えた瞬間はほんの数える程度しか無かったし、それ以上に辛い事があまりにも多かった。

そんな事など何も知らない入社当初の僕は、大企業から内定を貰った事に満足し、これから始まるサラリーマン生活に目を輝かせながら、銀行に足を踏み入れる事となった。

 

2.働くなかで目にした銀行の実情

結論から言うと、僕は入社して1年目の終わりには、もうサラリーマン生活に嫌気が刺すようになっていた。

僕が期待を持って入社した銀行は、あまりにもトップダウンで風通しの悪い、文字通りの『昔ながらの会社』だったのだ。

 

トップダウンとは、簡単に言えば『上の言う事は絶対』という意味。
営業店であれば、『支店長』と呼ばれる人が一番偉く、まさしく王様のような存在だった。

王様である支店長に、職場の誰かが呼び出された時の光景は、まさに圧巻だ。
みな、直立不動で、ペコペコしながらトップの意見にただただ従っている。
支店長へ返す言葉は、「YES」or「はい」しか無いのだ。

 

そこでトップに意見する者なんて滅多にいない。
その瞬間、トップの逆鱗に触れる可能性だってあり、銀行員にとって何よりも大事なキャリアが終わってしまうからだ。

職場の誰もが、自らの銀行員人生を守るため、自分を殺していた。
そう、僕から見た銀行員は、『トップの顔色を常に伺っている、カッコ悪いサラリーマン』だったのだ。

 

トップが職場にいるうちは張り詰めた空気がひたすらに続く。
そしてトップが先に帰るともなれば、その日の業務が終わったかのような、急にリラックスした雰囲気にたちまち変わってしまう。

僕にとっての銀行員人生も、まさしく『トップの顔色を伺い、会社のために仕事をしているような日々』だった。
自分の営業成績のために、お客さんに無理を言って頭を下げ、お金を借りてもらえないか頼むような事ももちろんあった。

そんなサラリーマン生活に、僕はすぐに嫌気が刺してしまったのだ。

 

そしてもう一つ。

これは本当に残念だったが、銀行の仕事自体にも、僕は楽しさを見出す事が出来なかった

もともと、銀行の仕事が好きで銀行員になったわけではない自分にとっては、この仕事は自分には合っていないんじゃないかと思うようになっていた。

そんな日々が続き、僕は誰のために仕事をしているのか、全く分からなくなってしまった。
入社当初に抱いていた期待など欠片も残っておらず、ただ日々の業務に忙殺される毎日が繰り返された。

そして僕のなかで明確に、『退職』の二文字が浮かぶようになっていった…。

 

3.人生で初めて足が震えた、退職を伝えた瞬間

退職を考えるようになってからも、僕はまだ会社で働き続けていた。

今すぐ会社を辞めようと思っていた僕を引き止めていた要因は、

  • 「もしかしたら、今から仕事が楽しくなるかもしれない」
  • 「転勤をして環境が変われば、会社に対する見方も変わるかもしれない」

という思いだった。

実際、尊敬していた上司からもそう言われ、僕はその言葉を信じ、また日々の業務に向き合うようになった。

 

しかし、会社に入って4年目の秋。
26歳になった僕は、もうこのままではダメだと、真剣に退職を考えるようになった。

 

会社の仕事は楽しくなるどころか、逆に辛さがひたすらに増していた。
加えて、転勤した場所でも、前の職場と同じようなトップダウンの王様がいる光景を見てしまっていたのだ。

正直に言って、この時はもう限界に来ていた。
うつ病に近い症状を発症してしまい、寝る事もできなくなり、朝起きても体が動かないような状態になってしまっていた。

 

もちろん、周りの人に相談をする事もあったが、多くの声は、僕を引き止めるものだった。

「まだ3年しか働いてないんだし、もう少し続けてみたら?この先は仕事が好きになるかもしれないだろ」

そんな意見が多かったのは事実だ。だけど僕は自分で考えて、最後に自分で決めた。

 

「今まで何か好きになるのに、3年もかかることなんて無かった。なら、もう別の道を選ぶべきだ。僕に銀行は合っていないんだ」と。

そう決断し、上司に退職の旨を伝えた。

 

今でも忘れられないのは、退職を伝えた時、人生で初めて足が震えた事だ。
敷かれてきたレールを、踏み外そうとしている事への恐怖からだろう。

僕の中で不安と期待が、7:3くらいで混ざるのが分かった。

 

今ならまだこの退職の申し出も撤回できると思いながらも、それでも自分の中で消えない気持ちがあった。

「ここにこれ以上いたら、自分は将来必ず後悔する。違う道を選ばなかったことへの後悔。まだ26歳の独身なら、リスクなんて大したものでは無いはずだ」

その気持ちを信じて、会社に退職の旨を伝えた2か月後、僕は銀行員という肩書を捨てて、フリーランスとなった。

 

4.フリーランスになってから感じた2つの変化

会社を辞める過程で、多くの面談があった。
数えるだけで、ゆうに6回はあったと思う。

直属の上司との面談、所属課長との面談、部長との面談、人事部との面談などだ。
大きな組織なので、退職の手順を踏むのにも時間がかかる事を実感した。

 

それらの面談の中で、僕は一貫して、退職後についてこう話した。

「これからは、自分の好きな事を仕事にしたいんです」

その時は、僕も道がはっきりと定まっていたわけでは無かったが、この気持ちだけは絶対に大事にしたいと強く思っていた。

 

もう、自分が好きになれない仕事をするのは沢山だ。
これからは、自分でしたい事を決め、自分の好きなように生き、自分で選んでいく人生を送る事を、退職と同時に自分に誓った。

 

そして会社を辞めてフリーランスになって、大きく変わった事が一つあった。

それは、『一切のストレスから解放された』という事だ。

会社を辞めた事で、肩の荷がすっと下りたのが分かった。
うつ病の症状は綺麗に消え、目のクマは治り、心に余裕が生まれていくのを実感した。

 

今、僕はフリーランスのブロガーとして活動をしている。
好きな場所で、自分の好きなように仕事ができるようになった。

 

僕はもう誰かの顔色を伺う必要も無いし、厳しすぎるノルマに追われることも無い、日曜日の夜に憂鬱な気分になることも無い。

満員電車に揺られる事も無いし、話したくも無い人とわざわざ顔を合わせる事も無い。

自分の好きなように生きる事で、僕は自分が今までと比べものにならないほど、生き生きとしていられるのが分かった。

 

そしてフリーランスになって良かった事がもう一つ。

周りの人間にも恵まれるようになった。

退職をした自分が、「自分は好きな事で生きていきたい」という思いを語る事で、応援してくれる人たちが周りにたくさん増えたのだ。

 

不思議なものだと思った。
僕は、会社を辞める前は、世間的なものをとても心配していたからだ。

  • 「まだ大して働いてもいないのに、たった3年程度で会社を辞めて、社会不適合者な人間だと思われないか」
  • 「あれだけ自分に期待をしてくれていた親は何と言うか」
  • 「周りの目は…銀行内の厳しい競争環境における脱落者だと思われないか」

しかし結果としては、そんなものは一切気にする必要は無かった。

 

確かに否定的な意見は山ほど貰ったし、面と向かって批判される事もあった。だがそういう人たちは、自ずと自分から離れて行った。

そして気づけば周りには、応援してくれる人たちで一杯になり、自分にとって心地良い環境に変わっていたのだ。

 

僕はサラリーマンからフリーランスになった事で、自分の好きな事を追い求める事ができ、そして応援してくれる人達にも出会えた。
まさに、これ以上ない幸せな環境を手に入れる事ができたのだ。

 

5.サラリーマンからフリーランスになりたい人へのメッセージ

最初に話した通り、今回の記事は、サラリーマンからフリーランスへなりたい人へ向けて綴った。

新しい道を選ぼうとするあなたの気持ちを、前向きにする事ができれば何よりだ。
ただ、あなたは、もしかしたら、今、会社を辞める事が逃げになってしまうのではないか、と心配しているかもしれない。

 

だが、安心して欲しい。
自分もその気持ちがあり、尊敬する上司に退職の相談をしていたが、こんな言葉を貰った。

「逃げたっていい。逃げたっていいさ。自分が無くなる前にさ」

その言葉が、当時の僕をすっと押してくれた。

そうか、逃げたっていいんだ。何も悪い事じゃない。
我慢して、自分を無くしてしまう方がよっぽど怖い。

 

だから、あなたも今いる会社から逃げたって構わないと、僕は思う。
やりたくない事から逃げ出して、自分が好きな事を、追い求めて欲しい。

僕は、貴重な20代前半を、やりたくもない仕事と共に過ごしてしまい、強く後悔をしている。
将来、「あの時こうしておけばよかった」なんて後悔しても、その時には遅いかもしれないのだ。

 

だからこそ、あなたにも知って欲しい。

『リスクを背負わない事こそ、一番のリスク』なのだと。

この話を読んでくれたあなたの、独立へ一歩踏み出すきっかけになる事を強く願う。

 

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Ryoheiさん、ありがとうございました。力強いメッセージにわたしも勇気づけられた・・・。

今回の話はRyoheiさんのブログ『BANK ACADEMY』にも詳細が書いてあるので合わせて読んでみてください^^

>>Ryoheiさんのブログ「BANK ACADEMY」はこちら

 

>>「いろんなフリーランスを紹介する企画」のすべての体験談はこちら!

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ABOUT US
執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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