ブログで生計を立て始めた時はとにかくお金を稼ぐのに必死で、オモテではキレイゴト言ってたけど、裏ではいつもお金のことばかり考えてた。
でも、別に生活できないわけではなかった。
なんで、そこまでお金に執着していたのだろう?
今思えば、、
命を燃やせるものを探していたんだと思う。
何かに、このわたしの内側から溢れ出る生命のエネルギーをぶつけたかった。
一日一日を生ききってみたかった。
無心で、無我夢中で人生を捧げられるものに出会いたかった。
それがたまたま、一般的に、誰の目にも明らかな形で目に見える〝お金〟というものにとりあえず飛びついただけのことだと。
はじめのうちは良かったが、
目的なくただひたすらお金を稼ぐことに、虚しさを覚えた。
お金のために、受けたくない仕事も受けた。
言いたくないことも言った。
これくらいやっとけば報酬分にはなるよねと
日に日に仕事は妥協の産物となった。
命を燃やしたくて発信を始めたのに
誰かの希望になりたくて文章を書いていたはずなのに
気づけば省エネで、成果のためだけに生きている
数字の奴隷
お金の亡者
となった自分をかえりみて心底嫌気がさした。
では、わたしは何に命をかけるのか?
残りの人生を何に捧げるのか?
その問いが、ずっと心の奥にあったように思う
*
その後はご存じのとおり
ゆにわの仲間と出会い、恩師と出会い、
コーヒー嫌いのわたしが一夜にして惚れた
シロフクコーヒーで働かせてもらうことになって
本気で目の前の現実から世の中を変えようとしてる人たちがいて
誰かのために必死で動いている人たちがいて
久々に心がふつふつと熱くなっているのを感じた。
これまでのわたしの生き方が
いかに自分のことしか考えていなかったかを思い知った。
自己の保身をすればするほど、心が冷めていくんだということに
気づかせてもらった。
「あー、お金を稼ぐほど虚しくなったのは
〝誰のために?〟
が無かったからなんだ」
とハッキリ自覚した。
*
自分のためだけにお金を稼ぐのは、
本当の人生を歩むための入り口でしかない。
自分のためだけに夢を叶えるのは、
一時的な満足でしかない。
命を燃やす生き方というのは
いつだって
〝誰かのため〟
に動いているとき、なのだろう。
(『鬼滅の刃』の煉獄さんが、若き者たちのために散ってゆくときに、〝心を燃やせ〟と言ってたね)