みなさま、あけましておめでとうございます。
年末に記事をしたためていたのに気づけば新年迎えちゃいました。
2025年もゆるめに発信続けたいと思います。
ということで今回は、
毎年ゆにわのみんなとやっている
年末の大神神社の参拝の話をしようかなと。
参拝の話というか、ほとんど雅楽の話になりますが。笑
はい、今回も雅楽を奏上させていただきました。
正直今回のはめちゃくちゃ難しい挑戦でした・・!
「菩薩」という、雅楽を長年されている方でも
そうそう演奏しないような曲で、
難易度が高いのはもちろんですが
今回は舞台での演出もあり、歩きながら吹くという初の試みもあり。
本格的に練習を始めた3ヶ月前は
「こんなんできんの・・・?」って全員思ってました。(笑)
なおかつ、新しく雅楽を始めるメンバーも3人!いて
新メンバーを加えた曲「越天楽」が急遽追加になり、
約2ヶ月で全員舞台に立つために
必死で吹き方を教えたり、雅楽とはなんぞ?を伝える日々でした。
(お稽古をつけてくれた山口先生にも大変お世話になりました・・・)
今だから言えるけど、
難易度の高い「菩薩」を練習するので一杯一杯で
今回はソロで吹く部分が多く、
わたしがミスったら終わり、みたいな状況だったので
人のを教えてる余裕なんてないよ、、ってのが正直な心境でした。
でも、自分だけが吹けても意味がない世界。
全員で演奏するのだから、全員で足並み揃えて、
思いも熱量も一緒じゃないと、伝わる演奏にはならない。
聴く人のこころには決して響かない。
だから、新メンバーには少々酷だったかもしれないけど、
全力で伝えました。(技術だけじゃなく、姿勢という面でも)
ムチャなことも言ったし、キツイことも指摘したし、
練習頑張ってるのは横目でずっと見てたけど、
でもまだまだ足りんよってのを、あえて言わないといけない状況だった
「無理しないでいいよ」とか「それくらいでいいよ」なんて声をかけたら
神がかることはできないし、それは偽善でしかないと。
嫌われてでも、耳の痛いことをあえて伝えて、もがいてほしいと思ってました。
それを言い続けるのはわたしの修行でもあり、新メンバーのおかげで、わたしも本当に多くのことを学ばせてもらいました。
(そしてあそこまで仕上げたのは本当に努力の賜物だと思う。花えり・やすと・こころちゃん、本当にお疲れ様でした。)
そんなこんなしてたら、本番直前のリハーサルで、
わたしの笛が全然音出なくなって、吹けなかったということがあり、
悔しさやら、焦りやらが溢れ出して、トイレで泣いたりしましたが(笑)
わたしだけではなく
それぞれみんな、試練のようなものが起こり、覚悟を試されるような日々でした。
そりゃそうですよね、
天に捧げるための音楽をやるのですから
テキトーな姿勢じゃバチが当たります。
それでもどうにか助け合って、いい演奏ができたと思います。
「雅楽」・・・をはじめて3年目。
〝みやび〟さとはなんなのか、ずっと考えながら取り組んできました。
雅なたたずまい、雅な音、雅な生き様って
ただ優雅なだけじゃなくて
ただ丁寧なだけじゃなくて
その過程で泥臭くもがいたこととか
自分の汚い部分、ネガティブな面と向き合ったこととか
自分の中の雅じゃないもの、美しくないもの
それらを最終的にぜんぶ受け入れて、
葛藤をこえて清々しく前を向く様を
苦しみの中に〝楽〟を見出す様を
〝雅〟
と呼ぶんじゃないかな、とわたしは思うのです。
舞台に立つときは、そんな苦労や葛藤はつゆにも感じさせない
清々しく凛とした姿を見せる。
けれども本番で奏でる〝音〟には
今までどれだけそれらと真剣に向き合ったかが
音圧となって、空間に振動する。
そんなウソ偽りのない音が
誰かの心を潤したり、癒したり、
はたまた天に届くのかもしれないと
実感したのが、今回の演奏でした。
*
能楽の大家・世阿弥の言う
能の真髄・・
〝秘すれば花〟
という言葉がわたしはとても好きなのですが
まさに「みやびさ」も、花のようなものだなと思います。
きっとこれは人生においても大事な姿勢でしょう。
花のように美しく舞う、奏でる、生きるとはどういうことか?
人生において何かを成し遂げようとするとき
ひとつの仕事を完成させようとするとき
一人の力では限界があることを知って
たくさん失敗もすれば不甲斐ない日々も続く。
どれだけ苦汁を舐めるときがあっても
またそれをバネにして立ち上がる。
一人の実力ではなく、みんなで磨いて高めていく。
苦しいも、悔しいも、悲しいも、痛いも、
ぜんぶみんなで抱きかかえて
それでもまた笑って前を向く。
己の不遇を嘆くことなく、
ぜんぶ必要な経験だったと、一切悲観せず
明るくカラッと生きる。
そんな日々の積み重ねが多ければ多いほど
からだの内側には密度の濃い思い出と記憶が
ぎゅーっと重なり合って
美しい花を咲かせる養分になる。
ただきらびやかじゃない
ただカッコイイ・カワイイじゃない
凝縮された生命のエネルギーが
からだの内側にパンパンにつまって、溢れ出たときに
見せかけじゃない〝本当の魅力(花)〟が生まれる。
そうやって人は、成熟していくんだなと
強く感じた年末年始でした。
でも、自分一人じゃ花になることはできないですね。
土があって、雨があって、太陽があって、葉があって、、
いろんなものの存在に助けられて生きているのだから。
感謝せずには、いられないですね。
ということで、今年もみなさま
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
ps
年始早々カゼひいたので
風姿花伝を読み返します。
現代人に読んでほしい古典ですね。