悔恨

あんまりこういうのを書くことないけど

書き留めておきたかったので。

 

 

 

 

わたしはいつも「助けられなかった人」のことを思い出す。

 

こんなちっぽけなわたし一人の力で誰かを救えるなんて

そんなおこがましいこと思ってないけど、

 

でも、もしかしたら、

あのときちょっとでも

 

声をかけていたら

 

無理やりにでも手を引っ張っていたら

 

連絡一本入れていたら

 

あの人の命は助かったかもしれないって

 

悲しみで埋め尽くされた歴史が変わったかもしれないって

 

思わずにはいられないことが

 

たくさんある。

 

 

なんて浅はかな関わりをしてしまったのだろう

なんて愛のない言葉をかけてしまったのだろう

なんて無関心な振る舞いだったのだろう

 

って

 

それはきっと人の命がいつまでも続くと思っていたからで

人はいつ永遠の別れがくるかわからないということを

まるでわかっていなかったから

 

 

そんな当たり前なことも忘れてしまうくらい

自分はいつから人の心を失くしたのだろう?

 

近くで誰かが苦しみに悶えているのを

忙しさを理由に見て見ぬふりして

 

一体わたしは誰のために忙しくしてるのか?

誰のために仕事してるのか?

 

いくら金を稼いだって

影響力が身についたって

評価されるようになったって

そばにある悲しみひとつ癒せないなら

一体なんの役に立つのだろう?

 

誰かを幸せにするために働いているはずなのに

ただの自己満的仕事じゃないかって

責める日々もあった

 

 

その、悔恨にも近い感情が、

 

「だったら、今自分の周りにいる人と

これが最後の会話だと思って関われ」

「これが最後だとしても、笑顔で手を振って別れられる時間を過ごせ」

 

という戒めに変わった。

 

 

・・・

 

 

そんな戒めも、

日々忙殺されたり、嫌なことしんどいことがあると

いとも簡単にどこかへ吹き飛んでしまうこともある

 

目の前の作業しか見えなくなると

途端にロボットに成り下がる。

 

 

それでも、また何度でも思い出す。

 

 

今日、伝えたい思いを伝えきったか?

 

言えてなかったこと

遠慮していたこと

ぜんぶさらけ出したか?

 

周りの人たちと本気で向き合えたか?

 

 

今日が最後だとしても

笑って終えられるか?

 

 

この悔しさを二度と忘れないように

今日もまた思い返しながら、いまあるものに誠を尽くして生きたいと思う