誰にも頼れずひとりでよく抱え込んで爆発していたあんちゃです。
わたしは昔からなんでもひとりで物事を進める性格で、「あまり人に頼りたくない」という気持ちが強く、悩んでも自分で解決しようとしていました。
そんなんで去年、社会人2年目のときに、今後への不安と葛藤を誰にも話せず自分の中に抱え込んだときにポキッと心が折れてしまい、会社に行けない日が続くことがありました。
このとき、「人に”助けて”と言えないことは、自分の弱い部分だ」と気づいたのです。
自分で決めた信念が、人に頼ることを邪魔していた
わたしは小学校のときに両親が離婚したのですが、そのときから「自分のことは自分でやる」という意識が芽生えました。いつまでも親に甘えてはいけない、と。
- 親にはなるべく心配をかけない
- 友達には嫌な思いをさせない
- 学校や先生に迷惑をかけない
こういう思いが強く、「誰かに頼ることは甘えだ」とすら感じていました。
わからないことは自分でわかるまで調べることが正しい。
悩んだことは自分でとことん考えて解決するのが正しい。
なにかの作業も、自分一人でやってしまえばいい。
いままでなんとかこういう気持ちでやってこれたのですが、それが去年、一瞬で崩れてしまったのです。
自分で考えても考えても不安になる一方で、答えが出せなくて、でもここで弱音を吐いたら「あいつは甘ったれた奴だ」と言われそうで誰にも言えなくて、そして結局つぶれてしまった。
人に頼らないことが正しいと思い込んでいたわたしは、その思い込みのせいで自分の首を締めてしまっていたのです。
人に頼ることは悪いことではなかった
心が折れたあとに、「人に頼れず抱え込んでつぶれてしまうのは、自分の良くない部分なんだ」と気づきました。
同時に、わたしの身近には「他人につらいことや助けてほしいことを打ち明けて、そこからまた挽回していく」というわたしとは正反対の友人がいて、すごく羨ましく思えました。
そしてその助けを求められた友人のまわりの人たちは、何の嫌な顔もせず友人を助けていたのです。
そのとき「確かに、誰かに頼りにされることって悪い気はしないかも」って思いました。
いま思えばわたしのまわりの人たちも「相談していいよ」とわたしに言ってくれてたような気がします。
でもわたしが「それは申し訳ない」と思って耳を塞いでいただけだったのかもしれません。
結局ひとりで抱え込んで潰れてまわりに迷惑をかけるなら、潰れる前にまわりの人に助けを求めるほうがよっぽど自分にとってもまわりにとっても良いんじゃないか、と思いました。
「迷惑をかけない」よりも「人の迷惑を許せる」生き方にする
わたしは昔付き合ってた恋人からも「なにも相談してくれないから、何を考えているのかわからない」と言われることがよくありました。
このとき、「誰にも頼らない」ことは、逆にまわりの人たちを不安にさせているのかもしれない、と気づきました。
だから、素直に「助けて」と言えることは別に恥ずかしいことじゃない。
苦しいときや助けて欲しいときは素直にぶちまけてしまっていい。
そのかわり、自分もまわりの人を助けてあげられるような人間になればいいんです。
「人に迷惑をかけない」ことよりも「人の迷惑を許せるようになる」ことのほうが大事なんだって実感したのです。
わたしのように人に頼れずひとりで抱え込んでしまう人は、少しは弱い部分を、まわりの人に打ち明けてもいいのかもしれません。
打ち明けられた側は、意外と「普段全く頼られないのに自分を頼ってくれた!」と思っているかもしれませんからね。
▼こちらの記事もあわせてどうぞ!