「誰と働くか」とは、つまり「誰と生きていくのか」である。

 

心理学者のアドラーが「人間の悩みは全て対人関係に帰結する」と言うように、働く上でもどんな人たちと仕事するのか、というのはまず重要視すべき事柄だと思う。

 

そしてこの「誰と働くか」というのはつまり「誰と生きていくのか」でもある。

日頃からの人との関わりに、自分の生き方がすべて表れるからだ。

 

利害「だけ」で人と関わるほど、冷め切った働き方になる

どういう人と働きたいか?と考えた時に、きっと一般的な企業などは

  • 能力が高い人
  • 即戦力になる人
  • たくさん働ける人

といったような基準を設けて採用することが多いはず。

 

たしかに自社にとって有益な人材を選出するというのは、ビジネスを軌道に乗せる上では大事かもしれない。

だけど、そういうメリットデメリットの利害「だけ」で人を選んだり、関係を切ったりするのは、あまりにも希薄で、さみしい人間関係だとも思う。

 

これは極論言えば「もし採用した人が事故とかで仕事できなくなった時に、会社にとって必要なくなったから関係を切るのか?」という話にもなる。

 

そしてこれは企業の話だけではなくて、個人においても

  • この人は自分にとって利益になりそうだから関わろう
  • この人が持ってるノウハウをもらって、さっさと離れよう

こういう利害でしか仕事相手を選ばない人は、実はたくさんいるかもしれない。

かくいうわたしも、ほんの少し前まではそういう目で人を見ていた。

 

だけど自分が利害で人と関われば、相手も自分に対して利害で関わってくる。

わたしの人間性とか価値観ではなく、「いかにメリットになるか?」でしか見られないというのは、自分の表面的な部分でしか判断されていないようで、どんどん割り切った関係になっていく。

 

もちろんそれで成り立つこともあるかもしれないけど、そんな関係だけで自分の人生を埋め尽くすには、わたしはそこまで孤独に耐えられなかった。

そしてこれは仕事の人間関係だけでなく、恋人や、友人に対しても無意識のうちにやってしまっていたことかもしれないと、あとになって気付かされた。

 

だから、「誰とどのように接し、働くか」というのは、そのまま自分の生き様につながるのだ

 

利害を超えて、志や価値観で人と働く。

出光興産の創業者・出光佐三は、戦後の経済大打撃で会社に莫大な負債を抱えた。

普通なら従業員のリストラなどで対応するだろうところを、彼は、従業員1000人余りを誰もクビにしなかった。

 

社是には「人間尊重」を掲げ、従業員はもっとも大事な財産であり、家族同然の存在だとした。

それでもし会社がつぶれるようなことがあれば、「従業員みんなと一緒に乞食をする」と。

 

”少し仕事の出来が悪いからといって辞めさせるのは、私に言わせれば単なる利己主義である”

”むしろそういう従業員をいかにして教育していくかが会社の使命じゃないのか”

 

この言葉には彼の人間に対する接し方・信念がそのまま表れている。

そしてそういう腹を括った人間関係こそ、揺るがない信頼を築いていくのだと思う。

 

 

わたしもこんなふうに腹を括った仲間と仕事をしたいし、大きな志とか、価値観を共有しあえる関係を築きたいと思う。

ただ、そういう人たちと働くには、まず自分から腹を括って人と関わる努力をしなければならない。

相手に求めるばかりで、自分は変わろうとしないのは、ただの傲慢だ。

 

 

これからは、たとえスキルがなくても仕事ができないとしても「この人と一緒に生きていきたい」と思う人と関わっていきたいし、その人の人生を一緒に歩む覚悟を持って接したい。

 

 

参考図書:『海賊と呼ばれた男 上(文庫)』/百田尚樹
     『海賊と呼ばれた男 1(コミック版)』/百田尚樹・須本壮一

 

 

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