歳を重ねるのが楽しみな理由。それは死を意識できるから。

2019年4月8日、28歳になった。

 

母が

「アンタが生まれたときは体重が多くて産むの大変だった」

といつの日か言っていたような気がするけど、

「生まれた時は体重あったのに、成長するほどこんな痩せ型になったのはなんでだろうな」

と疑問を抱かずにはいられなかったりして28年過ごしてきた。

 

今年こそは健康的な体型を目指したい。

 

 

世間一般的にこの年代は「もうすぐ30歳だ〜〜こわ〜〜い」という年頃なのかもしれないけど、個人的には「まだ28歳か」という気持ちもわりと大きくて。

それくらい20代(特に後半)は激動だったし、時間の濃さ的には10代の何倍も「生きていた」という実感がある。

 

 

10代のころもそれなりに楽しかったし思い出もたくさんあるけど、どこにいても誰といてもどこか俯瞰した自分がいて、何をしてても「このままでいいのかな」なんて思ったりして、言い知れぬ虚無感が拭えなかった。

 

20代に入ってもその「冷静なんだけど不安定な生き方」はそうそう変わらず、社会人になっても毎日の充実感とは裏腹に空虚さも抱えていた。

 

「仕事は充実してるし苦じゃないんだけど、どこか満足しきれない」

「上京生活は新鮮でたのしいけど、どこかさみしい」

「やりたい仕事に就いたはずだけど、本当にこれでいいのかどこか迷っている」

 

そんな矛盾をずっと解消できずにいた。

 

そしてそれは、ブログを始めてフリーランスになればその矛盾とおさらばできるものだと思っていたけど、実は違った。

 

結局働き方を変えても、ライフスタイルが激変しても、自分の内面と本気で向き合わない限りは、その相反する複雑な感情を紐解くことはできないのだなと知った。

関連記事:望むものが全て手に入る人生は、実は幸せじゃない。

 

 

そうやっていろんな経験を経てはつまずいて、立ち止まって考えて、また進んで今に至るのだけど、昨日まではまったく気づかなかった自分の一面を知ったり、弱さを垣間見たりして、今まで散々被せてきた鎧がべりべりと剥がれる感覚を得ている。

 

特にこの3年間はさらにその感覚に磨きがかかっている気がする。

1年前とは全く違う自分になっていたりするもんだから、30代になる頃には想像もできない自分が待っているんじゃないかと、少しそわそわする。

 

 

いままでは、歳を重ねるごとにいろんな価値が自分に身についていくものだと思っていたけど、最近は

「歳を重ねるということは、今まで背負ってきたたくさんの鎧や、矛盾や、不要な荷物の紐を解いて自分の内側にある芯に近づくことなのかもな」

と感じている。

 

 

そしてそれは究極、自分の”死に様”を思うことなのかもしれない。

 

歳を重ねるほど死に近づいていくという事実に対して、自分はどうしたいか。

どんな死に様を迎えるのか。

 

死に様を考えるということはつまり「どう生きるか」にもつながっている。

 

歳を重ねるたびに着々とその終わりが近づいてくることに対して、一抹の不安はあるけれど、どんな最期を迎えるかを考えるほど今この瞬間の背筋が伸びるし、この1年を過ごすのが楽しみだなという気持ちにもなる。

 

 

……誕生日というめでたい1日にこんなことを考えてしまうあたりが骨の髄まで根暗だなと思わざるをえないのだけど、こうやって淡々と自分の生まれた日を思うのも悪くない。

 

 

この1年は、地道に、静かに挑戦を続ける日々が続くと思う。

たくさんの人に認められなくとも、誰かに賞賛されなくとも、自分のやっていることに確信を持てるようになってきたから。

周りの人たちがより活躍できるように、精一杯自分に与えられたことをやりたいと思う。

 

 

28歳のあんちゃも、引き続きよろしくお願いします!

 

 

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執筆屋あんちゃ
執筆屋です。意識高い人生哲学から下ネタまで幅広く。 大阪の珈琲屋「シロフクコーヒー」のバリスタ▶︎系列店「ゆにわマートオンライン」に最近異動しました。最近はよくインスタにいます。

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