自分の意見を言ったりネットで発信していると、見ず知らずの人にいきなりサンドバッグのように叩かれることってあるんだよね。
- 「そんなやり方は間違っている」
- 「その見解はおかしい」
- 「絶対うまくいくわけがない」
などなど……。
ある程度発信したことのある人なら経験しているだろうし、これから発信していく人は最も恐れている部分だろう。
わたしのブログを知ってくださってる方は、過去に何度かボヤ騒ぎがあったことをご存知かもしれないが、そんなふうにネットで批判されたときにわたしはどうしているか。
ズバリ「わたしとは違う星に生まれた人の、違う星の常識なんだなぁ」と思うことにしている。
人によって正しいこと正しくないことは違う
海外に行ったことのある人は、日本で当たり前とされている常識が通じないことはよくわかるはず。
- 左側通行じゃない
- みんな昼間からビール飲んだり仕事しながら友達と電話してる
- 空気を読まずにはっきり言葉で伝えなきゃわかってもらえない etc……
たとえばこれを日本でやったら、「だらしない」とか「ルール守れ」とか「自己中」だとか言われるだろう。
国というコミュニティが違うだけで、こんなにも常識が異なるのだ。
そしてこれは国単位だけでなく、「人」単位でも起こり得る。
自分がいいと思ってやったことが、誰かにとっては悪いことになることもある。
ドライブ大好き!と言えば「排気ガス撒き散らして環境汚染だ!」と怒る人もいるし
「受験合格したみんなおめでとう!」と言えば「落ちた人の気持ちも考えて」と怒る人もいる。
それぞれの人によって物事の捉え方は全く違うのだ。
全員に賛同を得るのは地球がひっくり返っても無理
人はそれぞれ万物の尺度をもっていて、全員が一致する真理などは存在しない。
なぜなら、自分とまったく同じ人生を送ってきた人なんてひとりもいないからだ。
生き方の数だけ、物事の解釈がある。トマトが好きな人もいれば嫌いな人もいるように、都会が好きな人もいれば苦手な人もいる。
これはお互い押し付けるものでもなければ論破するものでもない。
だから、よう知らん人から「お前は間違ってる!」「これはこうしろ!」とぶつくさ言われた時は、
「このひとは自分とは違う星からやってきた、違う常識を持つ人なんだなぁうんうん」と思ってそのままスルーしている。(ときたましつこいときは、ぬるっとミュートをかけて自分の視界からそっと消しておく)
はじめて批判されたときはびっくりしてアワアワするかもしれない。もちろんわたしもそうだった。悲しくなったし落ち込みもした。
それはきっといままで発信せず誰にも賛同も反対もされない生き方をしてきたからだ。(大勢の人がそんな生き方をしている)
だから、批判が来たら「自分の発信が誰かに認知された証拠」だと思ってほしい。批判がくるということは、あなたが誰かの行動を促す発信ができたなによりもの証明なのだ。
100%すべての人の賛同を得るのは無理だ。
必ずあなたの価値観と真逆の人がどこかで現れる。でもそれは、実は健全なことなのだ。
批判する人が来たら、それはあなたとは違う星の常識で育った人。
そう解釈して、迷わず発信を続けよう。
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