わたし、社会人になってから1回だけ「もう生きるの疲れたし人生めんどくさいや」と思ったことがありました。
就職して2年目にさしかかるくらいのとき、仕事に熱意を注げず、自分の将来が見えず、自分の人生をどうしたいかわからず、「なんかもう全部めんどくさくて生きるの疲れたな」って感じていました。
今までこんなふうに思ったことない平凡な人生だったんですが、そのとき何が起こったのかをここに書き残しておきたいと思います。
「許可されないと休めない」という感覚
「生きるの疲れた」って感じる人ほど、生真面目な人だと思います。わたしもクソマジメだったんで。
そういう人って”休む”ことに罪悪感をもってしまうんですよね。
「ちゃんと働かないと」「ちゃんと自分の生活に意義を見出さないと」って、何でも○○しないと~って思ってしまう。
でもそういう強制的な思い込みがあると、あらゆるモノが「やらなきゃいけないこと」に見えてきて、結果的に疲れてしまうんです。
別にちょっとくらい休んだって誰も怒らないんですけど、「休んでいいよ」って言われないと休めないんです。「やらなきゃいけないこと」がたくさんあるから。
わたしが負の感情をプラスに変えた瞬間
わたしは社会人2年目のときに自分の無力さに呆れて生きるのが面倒になっていました。
「もう全部疲れたし何もかも投げ出してさっさと人生終了したい」って思いました。
普通ならそう思ってもまた翌日からいつもの日常が戻るんですが、わたしはかなり真剣に「全てを投げ出したかった」ので、翌日会社を休んでしまいました。今思えばそれほど精神的にも、体力的にも疲弊していたのかもしれません。
全てを投げ出したらどうなるのか?
会社を休んで考えたのは、「全てを投げ出したらラクになるのだろうか?」ということ。
必死で会社の仕事に追いつこうと働いて、プライベートも充実させようと休日も動いて、友だちの話に合わせるためにドラマやSNSを見る。
この「やらなきゃいけないと思い込んでいたこと」を全部投げ出したらどうなるんだろう?
わたしの答えは「べつに投げ出しても問題はない」でした。だってさっさと人生終わればいいって思っていたから。
必死で守ってきたプライドや安定がどうでもよくなる
「投げ出してラクになるなら、投げ出せばいいんじゃないか?」
そう考えるようになったら、一気に何かの”しがらみ”がなくなった気がしました。
どうせ人生は早かれ遅かれいつか終わるんだ。それなら全部投げ出してラクになってからがいい。
そう思うと、今まで安定のために必死で働いてお金を貯めていたこと、仕事での評価、まわりの目、全部どうでもよくなったんです。
そんなの気にしてないで、もう自分のやりたいようにやればいいやって。
「諦め」が好奇心につながる
一気になにかが吹っ切れたわたしは、そこから自分勝手に動き出します。「もうどうにでもなれ」って感じでした。
会社も休みがちだったり、自分の時間を優先させるために早く帰ったり、職場でいろんな人に迷惑をかけました。
でも迷惑かけようが何を言われようが、どうでもよかったんです。会社での評価はもう自分には必要なかったからです。
結果的にその「人生への諦め」が「自分本位で人生を動かす」という原動力につながったんです。
どうせ人生いつか終えるなら、自分のやりたいことをやり、好きなことをする。”諦め”がたくさんの好奇心を生みました。
そしていまは結局会社を退職して自分で仕事を見つけて自立する力を得ることができた。
もしあのとき「生きるの疲れた」って思っていなかったら今のわたしは成り得なかったんですよね。
負の感情は、もしかしたら一気に人生を180度別のモノにしてしまう原動力があるのかもしれません。
迷惑はかけてもいい。罪悪感をもつ必要はゼロ。
「まわりに迷惑かけたくないから思うように生きれない」のなら、それは違います。
そう思ってしまう人は、もっと自分勝手でいいんですよ。休んでもいいし、サボってもいい。
自分の生きたい人生を生きた結果、ある程度まわりに迷惑がかかってしまうのはどうしようもない。
というか誰にも迷惑かけずに生きられる人なんていませんからね。
そのかわり、人に迷惑をかけられても自分が許せる心を持てればいいんです。
「他人に迷惑をかけないこと」と「自分の人生」はどっちが大事ですか?
わたしはもっと自分勝手に自分の人生を歩む人を増やしたいです。
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